改訂新版 世界大百科事典 「秋篠安人」の意味・わかりやすい解説
秋篠安人 (あきしののやすひと)
生没年:752-821(天平勝宝4-弘仁12)
平安初期の貴族。一説に従四位下阿波守・勘解由(かげゆ)長官土師宇庭(遅)の子という。はじめ土師宿禰であったが,782年(延暦1)秋篠宿禰を賜り,790年朝臣姓となる。少内記,大外記,右兵衛佐をへて,791年従五位下。ついで,少納言,左少弁,左中弁,中衛少将ののち,800年従四位下,勘解由長官,近衛少将をへて,805年桓武天皇病のおり菅野真道とともに参議に任じられ,ついで右大弁。806年(大同1)神野親王(のちの嵯峨天皇)の春宮大夫,また北陸道観察使,左大弁となり,桓武天皇の周忌御斎会司もつとめた。807年伊予親王に連座して造西寺長官に左遷されたらしいが,翌年右大弁,ついで左大弁,810年(弘仁1)薬子の変にさいし参議,右衛士督となる。815年従三位。菅野真道とともに《続日本紀》(797)を編纂し,《弘仁格式》(820)の撰定にも参加した。
執筆者:西山 良平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報