日本歴史地名大系 「稚泊航路」の解説 稚泊航路ちはくこうろ 北海道:総論稚泊航路第二次世界大戦終結前に、北海道北端の国鉄宗谷線稚内駅と樺太庁鉄道泊栄(はくえい)線の大泊港(おおとまりこう)駅の間を結んでいた日本国有鉄道の連絡船で、営業キロ数は一五九キロとされていた。明治三八年(一九〇五)のポーツマス条約によって南樺太(南サハリン)が日本領土になると、この島と北海道間の海上輸送のために樺太庁は民間の船会社に補助金を出して樺太東西沿岸への「命令航路」を開いた。しかしそれらの航路はすべて小樽や函館を起点とするものであった。そのため樺太にもっとも近い稚内に築港工事を行い、防波堤や貨客船バースなどの設備を整える計画が大正八年(一九一九)北海道拓殖計画に追加されたが、それがひとまず完成したのは同一一年一一月の国鉄宗谷本線(現JR天北線)の稚内駅(現南稚内駅)までの開通と時を同じくしていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by