稲八妻城跡(読み)いなやづまじようあと

日本歴史地名大系 「稲八妻城跡」の解説

稲八妻城跡
いなやづまじようあと

[現在地名]精華町大字北稲八間 城山

北稲八間きたいなやづま集落西方の丘陵上(九五・七メートル)の上水道配水池の付近にあった中世山城。「稲屋妻城」とも書く。東に遠く木津きづ川を望み、眼下の集落を隔てて奈良街道(歌姫越)を押える。南隣の南稲八妻集落から西に越えると、摂津河内への街道に通じる。

文明一七年(一四八五)一〇月、畠山氏の東西両軍南山城対陣に際しての西軍畠山義就方の城の一つとして「大乗院寺社雑事記」同月一四日条に「本人稲屋ツマ之城」とみえる。稲八(屋)妻氏は「稲八妻八郎」(「経覚私要鈔」文安四年九月一四日条)、「稲八妻孫八」「八妻長松房」「いなや与三郎(「多聞院日記」天文二年五月一六日条・同一九年八月二日条・永禄九年二月一六日条)をはじめ、稲八間庄に基盤をもつ国人として室町中期から近世初頭にかけての史料に散見される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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