日本歴史地名大系 「稲八妻城跡」の解説
稲八妻城跡
いなやづまじようあと
文明一七年(一四八五)一〇月、畠山氏の東西両軍南山城対陣に際しての西軍畠山義就方の城の一つとして「大乗院寺社雑事記」同月一四日条に「八妻長松房」「いなや与三郎」(「多聞院日記」天文二年五月一六日条・同一九年八月二日条・永禄九年二月一六日条)をはじめ、稲八間庄に基盤をもつ国人として室町中期から近世初頭にかけての史料に散見される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報