稲八間庄(読み)いなやづまのしよう

日本歴史地名大系 「稲八間庄」の解説

稲八間庄
いなやづまのしよう

近世の北稲八間(きたいなやづま)村・南稲八妻(みなみいなやづま)村の地に比定される荘園で、文書・時代により稲間・稲屋妻とも出る。

延久の荘園整理の一環として出された延久四年(一〇七二)九月五日付太政官牒(石清水文書)に、かつての石清水八幡宮寺領三四ヵ所のうち、もとのごとく領掌が認められた二一ヵ所が記されるが、山城国には四ヵ所あり、その一として「稲間庄」がみえる。この太政官牒によれば稲間庄は水田二九町二段五〇歩、四至は「限東祝薗稲間堺畷 限西山峯 限南荒陵里参拾壱・参拾弐・参拾参之南畔 限北下狛稲八間堺畷」であり、それは「額田村参条稲捌間里」のほぼ全域と「下村荒陵里」の一九、二〇、三〇、三一、三二、三三坪を含むものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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