日本の城がわかる事典 「稲庭城」の解説 いなにわじょう【稲庭城】 秋田県湯沢市(旧稲川町)にあった城郭。鎌倉時代の初めから戦国時代にかけての約400年間、仙北地方(現在の秋田県南部)を領有していた小野寺氏が居城としていた城で、標高約704mの大森山の西の尾根にあった典型的な山城(やまじろ)である。東の最も高い場所に主郭が、その西隣に二ノ郭(下館)があった。小野寺氏はもとは下野(現在の栃木県)の武将で、源頼朝の奥州藤原氏征伐に従軍し、その功績により羽後国雄勝郡の地頭職に任じられて、この地に根を下ろした。稲庭城の成立については諸説あるが、一説には1193年(建久4)、小野寺重道が稲庭城を築いて居城としたとされる。この城を拠点として勢力を広げ、秋田県南部の大勢力となった。室町時代末期、小野寺氏は沼館城、次いで横手城に居城を移した。稲庭城には城代が置かれたが、間もなく当主小野寺泰道の二男の晴道が城主となり、以降稲庭氏を名乗った。1590年(天正18)の豊臣秀吉の奥羽仕置で、小野寺氏はその領地を大きく削られ、1595年(文禄4)には雄勝郡の領有を主張する最上義光が小野寺領に侵攻し、稲庭城も最上氏の攻撃により1598年(慶長3)に落城した。その後すぐに廃城となった。二ノ郭の南東の隅には櫓(やぐら)台跡が、また、二ノ郭北側には腰郭と大手口の跡が残っている。この二ノ郭まで麓から遊歩道が整備されているほか、スロープカーが運行している。二ノ郭には今昔館と呼ばれる模擬天守がつくられており、内部には稲庭城や小野寺氏に関する歴史史料の展示のほか、当地の名物の稲庭うどんやほかの地元物産、伝統産業を紹介するコーナーがある。JR奥羽本線湯沢駅からバスで下早坂下車。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報