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稲葉正勝 いなば まさかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

稲葉正勝 いなば-まさかつ

1597-1634 江戸時代前期の大名。
慶長2年生まれ。稲葉正成(まさなり)の3男。母は春日局(かすがのつぼね)。徳川家光につかえ,元和(げんな)9年老中。寛永元年常陸(ひたち)柿岡(かきおか)藩主。1万石から2万石に加増され,5年父の遺領をあわせて4万石を領し,下野(しもつけ)真岡(もおか)藩主稲葉家2代となる。9年相模(さがみ)小田原藩主稲葉家初代。8万5000石。寛永11年1月25日死去。38歳。京都出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

稲葉正勝

没年:寛永11.1.25(1634.2.22)
生年:慶長2(1597)
江戸初期の幕府年寄。稲葉正成の3男。母は春日局。初名千熊,通称宇右衛門。慶長9(1604)年,8歳で徳川家光の小姓として召し出され,500石,20人扶持となる。母は家光の乳母であり,以後,家光の側近として,小納戸,徒頭,小姓組番頭,書院組番頭を歴任。元和9(1623)年家光の上洛に供奉し,丹後守に叙任。加増され5000石を知行し,本丸年寄に列す。寛永1(1624)年5000石,2年1万石と加増を重ねられ,同5年,父の遺領を継ぎ,自身の領地を合わせて4万石。9年,加藤忠広の改易に当たって,熊本城受取の上使を務め,同年11月23日,4万5000石を加増され相模国(神奈川県)小田原藩主となった。同年1月の秀忠死後,正勝は子飼いの年寄候補として家光の期待を一身に集めたが,同10年病におち,翌年,小田原城で没した。妻は山田重利の娘。<参考文献>山本博文『寛永時代』,藤井譲治『江戸幕府老中制形成過程の研究』

(山本博文)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いなばまさかつ【稲葉正勝】

1597‐1634(慶長2‐寛永11)
江戸前期の幕府老中。稲葉正成の三男。母は春日局。8歳で3代将軍徳川家光に仕え,小姓組番頭・書院番頭を経て,1623年(元和9)老中。24年1万石となり,28年父正成の遺領を継ぎ,下野国真岡4万石を領した。32年加藤忠広の改易に肥後熊本城受取役を務めた。同年,4万5000石を加増され,相模国小田原城主となり,箱根の関所を管轄した。【藤井 譲治】

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