朝日日本歴史人物事典 「稲葉正勝」の解説
稲葉正勝
生年:慶長2(1597)
江戸初期の幕府年寄。稲葉正成の3男。母は春日局。初名千熊,通称宇右衛門。慶長9(1604)年,8歳で徳川家光の小姓として召し出され,500石,20人扶持となる。母は家光の乳母であり,以後,家光の側近として,小納戸,徒頭,小姓組番頭,書院組番頭を歴任。元和9(1623)年家光の上洛に供奉し,丹後守に叙任。加増され5000石を知行し,本丸年寄に列す。寛永1(1624)年5000石,2年1万石と加増を重ねられ,同5年,父の遺領を継ぎ,自身の領地を合わせて4万石。9年,加藤忠広の改易に当たって,熊本城受取の上使を務め,同年11月23日,4万5000石を加増され相模国(神奈川県)小田原藩主となった。同年1月の秀忠死後,正勝は子飼いの年寄候補として家光の期待を一身に集めたが,同10年病におち,翌年,小田原城で没した。妻は山田重利の娘。<参考文献>山本博文『寛永時代』,藤井譲治『江戸幕府老中制形成過程の研究』
(山本博文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報