穂北村(読み)ほきたむら

日本歴史地名大系 「穂北村」の解説

穂北村
ほきたむら

[現在地名]西都市穂北・茶臼原ちやうすばる

現西都市の東端部、南東に流れる一ッ瀬川(穂北川)の北岸に位置し、東はしい(現木城町)上江うわえ(現高鍋町)、南東は新田にゆうた(現新富町)、西は尾八重おはえ村、南は南方みなみかた村、北は高城たかじよう(現木城町)北西いし(現同上)。集落は一ッ瀬川と、その支流瀬江せこう(瀬川)竹尾たけお川の流域に広がっていた。古くは南方村を含んでいたが、のちに同村は分立した。中世穂北郷の遺称地で、地内に穂北城跡がある。

天正一六年(一五八八)八月四日の日向国知行方目録に「六拾町 穂北」とみえ、高橋元種(延岡藩)領。元禄五年(一六九二)幕府領となり(日向国御料発端其外旧記)、正徳二年(一七一二)延岡藩(牧野氏)領に復する(牧野家文書)。寛保三年(一七四三)再び幕府領となり、同領で幕末に至った(前掲旧記など)。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高一千五五二石余、元禄国絵図では高二千三一二石余とあるが、これらの村高や前掲日向国知行方目録にみえる反別には南方村分が含まれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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