窟堂(読み)いわやどう

日本歴史地名大系 「窟堂」の解説

窟堂
いわやどう

[現在地名]鎌倉市雪ノ下二丁目

今小路寿福いまこうじじゆふく寺から鶴岡八幡宮西南の隅へ通る窟堂道の北側、山の根に岩窟があり、中に不動明王を祀る。岩谷堂・岩井堂・巌窟不動ともいう。

吾妻鏡」文治四年(一一八八)一月一日条に、窟堂下の佐野基綱宅が焼け、数十宇の人屋が罹災、鶴岡の近所なので源頼朝はじめ諸人が八幡宮に集まったとある。場所からみてもこれが窟堂の初見といえよう。さらに同年一〇月一〇日条には、窟堂の聖阿弥陀仏房が勝長寿しようちようじゆ院に参詣帰途、八四歳で道路上で頓死したとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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