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竇憲 とうけんDou Xian; Tou Hsien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

竇憲
とうけん
Dou Xian; Tou Hsien

[生]?
[没]永元4(92).6.
中国,後漢の外戚。扶風 (陝西省) の人。字は伯度。後漢開国の功臣竇融 (とうゆう) の曾孫。建初2 (77) 年妹が章帝の皇后となると,侍中に任じられ,衰退に向っていた一族は再び勢力を盛返した。しかし章帝の妹沁水 (しんすい) 公主の園田を奪ったため失脚。やがて和帝が立ち (89) ,妹が皇太后となると侍中に復帰したが,皇太后の寵臣と争ってこれを刺し殺したので,贖罪のため匈奴征伐を志願し,北匈奴を討って燕然山に紀功碑を建てた。こうして再び一門大いに栄えたが,永元4 (92) 年皇帝を殺そうとして,はかりごとが漏れて自殺した。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうけん【竇憲 Dòu Xiàn】

?‐92
中国,後の権臣。後漢創業期の功臣竇融の曾孫で字は伯度。妹が章帝の皇后となり,外戚として栄えた。和帝が幼少で即位し妹が皇太后となって政治を執ると,彼は政敵を殺して権力を掌握しようとして失敗。贖罪のために匈奴征伐を志願し,大功を立てて大将軍となり,一族は朝廷の要職を占めて政治を左右するにいたった。のちに和帝を殺害しようとして発覚,和帝は宦官鄭衆(ていしゆう)とはかって自殺せしめた。後漢の外戚の専横と宦官の政治介入は,彼のときに始まる。

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