立原任(読み)タチハラ ジン

20世紀日本人名事典 「立原任」の解説

立原 任
タチハラ ジン

明治〜昭和期の電気技術者 三菱電機常務。



生年
明治6年11月(1873年)

没年
昭和6(1931)年12月16日

出生地
秋田県秋田市保戸野

学歴〔年〕
東京帝大理科大学〔明治28年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治40年〕

経歴
10代で上京し高校・大学を卒業する傍ら杉浦重剛の称好塾にも通った。明治28年第二高等学校教授となり仙台に赴任する。30年辞して米国に留学、ゼネラルエレクトリック社で電気工学のスタインメッツ博士について電気機器設計を研究。ついで欧州を巡遊して、31年末に帰国後、三菱合資に入社して鉱業電化に当たる。39年神戸三菱造船所電機工場長となり、40年交流電機電圧変動率研究で、秋田県人の工学博士第1号となった。45年猪苗代水力電気顧問となり欧米に視察出張、のち送電線の設計などを手掛けた。226キロメートル、11万5千ボルトの大掛かりなもので、これは当時世界第3位で、日本の実用電圧は大きく飛躍し、“電化の博士”と呼ばれた。その後、大正6年日本電池取締役、のち三菱電機取締役、13年同常務を歴任潜水艦の蓄電池改良、蓄電池国産化、小岩井農場の農事電化などに尽力した。また昭和3年電気学会会長を務めたほか多くの学会・団体に関与した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「立原任」の解説

立原任 たちはら-じん

1873-1931 明治-昭和時代前期の電気技術者。
明治6年11月生まれ。アメリカに留学後,三菱合資に入社して鉱業の電化にあたる。のち日本電池,三菱電機の取締役を歴任。昭和3年電気学会会長。この間猪苗代(いなわしろ)水力電気で送電線の設計などを手がけ,電化の博士といわれた。昭和6年12月16日死去。59歳。秋田県出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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