立崎村(読み)たつさきむら

日本歴史地名大系 「立崎村」の解説

立崎村
たつさきむら

[現在地名]古河市立崎など

古河城があった長い半島状台地の先端部の微高地上に所在。「寛文朱印留」には「辰崎村」とあり、東の牧野地(まきのじ)村と一筋の小道によって連絡しているのみで、周囲を渡良瀬(わたらせ)川のつくる後背湿地が取巻いていた。明治四三年(一九一〇)に始まる渡良瀬川の河道変更により住民は離散し、いまは渡良瀬川両岸の堤防際に、分断された名残の土地がある。大字立崎小字中堤新田(なかつつみしんでん)と現埼玉県北埼玉郡北川辺(きたかわべ)町大字伊賀袋(いがふくろ)の小字立崎である。

天保期(一八三〇―四四)と考えられる村鑑(古河市郷土資料館蔵)によれば村高一〇四・二一四石、反別は田三町五反四畝一九歩・畑一九町九反四畝一〇歩。


立崎村
たちざきむら

[現在地名]十和田市立崎

砂土路(さどろ)川の平地に位置する。南は八斗沢(はつとざわ)村、西は大沢田(おおさわだ)村、北は大浦(おおうら)村(現上北郡上北町)、北西は新館(にいだて)村(同町)に接する。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「高百石五斗余 馬七十疋」とみえ、家数四二。


立崎村
たつざきむら

[現在地名]利根町立崎

新利根川と利根川の間に所在。西は中谷(なかや)村。糸賀平左衛門が開発した村で、上中下の三地区に分れていた(北相馬郡志)。「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)には山城淀藩領四八・六八〇二石、旗本建部伝内知行地九〇・九四三八石、天領一七・〇八八石の三給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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