20世紀日本人名事典 「立川雲平」の解説
立川 雲平
タツカワ ウンペイ
- 生年
- 安政4年8月27日(1857年)
- 没年
- 昭和11(1936)年1月24日
- 出身地
- 淡路国(兵庫県)
- 学歴〔年〕
- 明治法律学校(現・明治大学)卒
- 経歴
- 兵庫県淡路島で漢学を修め小学校教員となったが、のち明治法律学校に学び、代言人(弁護士)となり、明治16年洲本(淡路島)に代言人事務所を開設する。18年岩村田(佐久市)の茂木彦太夫に十九銀行頭取告訴事件の依頼を受け長野県を訪れる。龍野周一郎らと交流が始まり、岩村田に本籍を移し、自由民権運動にも指導的役割を果たした。20年信濃大懇親会で条約改正に反対して建白書提出を提案する。24年長野県議を経て、25年から衆院議員(政友会)に当選3回。理想団にも加入した。38年帝国議会で政府の社会主義者弾圧を批判する議会演説を行い、国会演説の中で「社会主義」という言葉を最初に取り上げたといわれる。42年汚職事件に連座して収監され、議員を辞職し政治の第一線から引退した。島崎藤村の「破戒」の市村代議士のモデルといわれる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報