竹下勇(読み)タケシタ イサム

20世紀日本人名事典 「竹下勇」の解説

竹下 勇
タケシタ イサム

明治・大正期の海軍大将



生年
明治2年12月4日(1870年)

没年
昭和24(1949)年7月6日

出生地
鹿児島県

旧姓(旧名)
山元

学歴〔年〕
海兵(第15期)〔明治22年〕卒,海大〔明治31年〕卒

経歴
海軍兵学校卒業後、日清戦争に葛城分隊長として参加、海軍大学校卒業後、イギリスに出張し、帰国後常備艦隊参謀などをつとめる。明治35年アメリカに派遣され、日露戦争後の38年に帰国。その後須磨などの艦長、第1艦隊参謀長をつとめ、大正5年第2戦隊司令官となる。6年アメリカに出張し、7年軍令部次長に就任。8年パリ講和会議に随員として参加し、9年国際連盟海軍代表となり、11年帰国。帰国後、第1艦隊兼連合艦隊司令長官となり、12年大将に昇進。のち呉鎮守府司令長官、軍事参議官をつとめ、昭和4年予備役編入となる。のち海軍在郷将官団体有終会の理事長や大日本相撲協会(のちの日本相撲協会)会長を務めた。平成7年日記と書簡が公開された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹下勇」の解説

竹下勇 たけした-いさむ

1870*-1949 明治-昭和時代前期の軍人
明治2年12月4日生まれ。日露戦争中は駐米公使館付武官をつとめ,その後須磨,敷島の各艦長などを歴任して大正7年軍令部次長となる。9年から国際連盟海軍代表をつとめた。11年第一艦隊兼連合艦隊司令長官。海軍大将。昭和24年7月1日死去。81歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。海軍大学校卒。旧姓は山元。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「竹下勇」の解説

竹下 勇 (たけした いさむ)

生年月日:1870年12月4日
明治時代;大正時代海軍軍人。大将
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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