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竹前権兵衛(読み)たけまえ ごんべえ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹前権兵衛」の解説

竹前権兵衛 たけまえ-ごんべえ

1679-1749 江戸時代中期の開拓者
延宝7年生まれ。家は代々信濃(しなの)(長野県)高井郡米子村の庄屋硫黄(いおう)採掘・販売業をいとなむ。享保(きょうほう)13年に弟竹前小八郎がはじめた越後(えちご)(新潟県)紫雲寺潟(しうんじがた)の干拓を弟の死後ひきつぎ,18年完成させた。寛延2年3月3日死去。71歳。名は屋栄(いえひで)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の竹前権兵衛の言及

【越後国】より

…1730年(享保15)将軍吉宗の享保改革の一環として阿賀野川河口の松ヶ崎掘割工事が行われ,紫雲寺潟新田が開発された。これは信州米子の竹前権兵衛が出願し,これに江戸の会津屋,柏崎の宮川その他の資本を投下して行ったもので,1736年(元文1)検地の結果では1647町歩の田畑を得た。また松ヶ崎を掘り割ったため同水系流域の排水が進み,福島潟縁新田が鉢崎の山本丈右衛門の手で開発され,つづいて水原町人や近辺村請で進められた。…

※「竹前権兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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