竹山実(読み)たけやまみのる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹山実」の意味・わかりやすい解説

竹山実
たけやまみのる
(1934―2020)

建築家。北海道札幌市生まれ。1956年(昭和31)早稲田大学第一理工学部建築学科卒業、1958年同大学工科系大学院修了後、1960年にハーバード大学GSD(大学院大学デザイン・コース)を修了する。1959~1962年、ボストンニューヨークの建築設計事務所に勤務し、1962~1964年渡欧しデンマークの建築事務所に勤務するかたわら、デンマーク王立アカデミー建築科に勤める。1964年帰国し、竹山実建築総合研究所を開設する。1965~1975年武蔵野美術大学助教授、1976年より同教授。

 一番館(1969)、二番館(1970、ともに東京都新宿区)、竹山旧家外装計画(1971、札幌市)は、竹山のデビューを印象づけた一連の作品である。一番館、二番館は新宿・歌舞伎町にあるバーなどが入居する雑居ビルである。竹山旧家は竹山の実家で、伝統的な瓦屋根の実家の周りをストライプの金属板を張り巡らせた四角いボリュームで囲った。どちらも外壁をストライプやポップなパターンで塗りわけ、建築としての実体を隠し、周囲の環境から記号として際立たせた。重々しい実体から解放することで、ポップ・アートなど当時の芸術文化と同じように軽い思想とその展開として建築を位置づけたのである。このような実践の後、竹山は記号論を適用した都市フィールドワークを学生とともに行い、建築学の流行をリードしていった。

 ペプシ工場(1972、北海道三笠市)やホテルビバリートム(1974、北海道苫小牧市)では、広大なランドスケープに対してシンボリック形態を屹立(きつりつ)させて、初期のグラフィカルな面に重きをおく傾向とは異なった展開をみせ、現代建築のモニュメント的作品のあり方を提案した。SHIBUYA109(いちまるきゅう)(基本設計。1978、東京都渋谷区)や中村記念病院(1980、札幌市)、京都ルネサンス(商業複合施設。1986、京都市)は町中の建物であるが、やはり同じモニュメンタルな手法を用いている。1980年代以降のポスト・モダニズムの時代、竹山の手法は他の若い建築家によってさかんに使われたが、この時代の竹山自身の代表作は晴海客船ターミナル(1991、東京都)である。四角錐のかご状のボリュームは、航行する船舶に対して、灯台のような、港湾にふさわしいモニュメントとなることを目指していた。

 主な著書に『碧(あお)いニルバーナ』(1973)、『建築のことば』(1983)などがある。

[鈴木 明]

『『碧いニルバーナ――建築と言語』(1973・商店建築社)』『『建築のことば』(1983・鹿島出版会)』『Botond Bognar ed.Minoru Takeyama (1995, Academy Editions, London)』

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