朝日日本歴史人物事典 「竹本正雅」の解説
竹本正雅
生年:文政9(1826)
幕末の幕府官僚。父は旗本荒川練賢,母は片桐氏。竹本家に養子に入る。安政6(1859)年10月外国奉行に就任し,翌月神奈川奉行を兼ねた。翌万延1(1860)年12月全権委員として日普修好通商条約に調印。文久2(1862)年10月大目付となり12月外国奉行を兼ねる。翌3年3月,生麦事件の償金支払いに関連し英仏公使が幕府に対し軍事援助を申し出た際,これを拒絶。7月外国奉行専任となり横浜鎖港交渉を担当,翌元治1(1864)年8月,四国艦隊下関砲撃事件の処理交渉に当たった。同年11月外国奉行を免ぜられ外交の第一線を退く。幕府倒壊後,程なく病没。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報