竹林村(読み)たけばやしむら

日本歴史地名大系 「竹林村」の解説

竹林村
たけばやしむら

[現在地名]宇都宮市竹林町・にしき一―三丁目・東町ひがしまち

北は岩曾いわぞ村、西は山本やまもと村・大曾おおぞ村に接する平坦地で、西に川、東に御用ごよう川が南流し、その東に奥州街道が走る。今泉系図(下野国誌)によれば、永享一〇年(一四三八)に没した今泉盛朝の弟元業は竹林に住し、竹林淡路守七郎兵衛尉と名乗ったという。近世を通じて宇都宮藩領で、慶安郷帳に田方三五二石余・畑方二三九石余とある。延宝六年(一六七八)江戸町人井筒屋源右衛門が新田開発をもくろんだ野場のうち、開発できなかった五二五町が竹林村などへ野場として預け置かれた(「野場預り証文」平出英夫文書)。元禄六年(一六九三)以前と推定される宇都宮藩領知村々書上(奥平家文書)に竹林村高七五五石余と竹林新田高三石余がみえる。

竹林村
たけばやしむら

[現在地名]立山町竹林

栃津とちづ右岸横江新よこえしん村の西に位置。寺田てらだ若宮わかみや村の枝村として開かれ(享和三年「仮名付帳」加越能文庫)、村名は付近に竹林が広がっていたことに由来するという。明暦二年(一六五六)の村御印留に村名がみえ、寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高一六一石、免四ツ七歩、小物成として鮭役二匁(出来)があった(三箇国高物成帳)。天明四年(一七八四)の三千俵用水水下銀仕立覚(杉木家文書)によれば高一六一石・銀高三三匁余。

竹林村
たけばやしむら

[現在地名]勝山市野向のむき町竹林

高尾たかお岳の南西滝波たきなみ川の右岸に位置する。北は竜谷りゆうたに村、西は布市ぬのいち村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「竹橋村」として高一五六・五石が記される。慶長五年から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領となった。

竹林村
たけばやしむら

[現在地名]長南町竹林

茗荷沢みようがざわ村の南西に位置し、一宮いちのみや川支流の埴生はぶ川が流れる。文禄三年(一五九四)上総国村高帳に村名がみえ、高一一五石で、幕末までほぼ変わらない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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