竹野遺跡(読み)たかのいせき

日本歴史地名大系 「竹野遺跡」の解説

竹野遺跡
たかのいせき

[現在地名]丹後町竹野

竹野川河口地右岸に位置し、竹野川が堆積した土砂と第四期以降の隆起による海退でできた砂丘地にある弥生前期から室町期にわたる遺跡。海岸線から約三〇〇メートル、竹野川右岸から二〇―四〇メートル。砂丘は東西約五五〇―六〇〇メートル、南北約二五〇―三五〇メートルで全域が遺跡地である。

昭和四二年(一九六七)・四四年・四五年と三次にわたって発掘調査が行われ、多くの遺物を検出しているが、住居跡などの明確な遺構は未確認である。出土遺物のうち主要なものは弥生式土器で畿内第一様式の新段階に比定されるものが多い。とくに注目されるのは、篦描流水文をめぐらした壺形土器の完形品が出土したことである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む