竺可楨(読み)じくかてい(英語表記)Zhú Kě zhēn

改訂新版 世界大百科事典 「竺可楨」の意味・わかりやすい解説

竺可楨 (じくかてい)
Zhú Kě zhēn
生没年:1890-1974

中国,現代の科学者。浙江省上虞に生まれ,はじめ土木工学を学んだが,1910年にアメリカに留学し,イリノイ大学農業ハーバード大学気象学を学び,18年に帰国した。武昌南京教職に就いたあと,28年には中央研究院に招かれ,気象研究所を主宰するとともに,全国にわたる気象観測の施設を整備した。36年に浙江大学長となり,戦時中もこの大学の維持運営に努力した。49年10月に人民共和国が成立するや,北京に赴いて中国科学院副院長となり,学界の指導者の一人となった。中国における近代地理学,気象学の基礎を築くとともに,科学史にも深い関心を示した。生前300編に及ぶ論文を発表したが,その一部は没後刊行された《竺可楨文集》(1979)に収録される。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竺可楨」の意味・わかりやすい解説

竺可楨
じくかてい / チューコーチェン
(1890―1974)

中国の気象・地理学者、教育家。浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)に生まれ、南京(ナンキン)大学を卒業。アメリカに留学してイリノイ、ハーバード大学で気象学、地理学を学んだ。1918年から武昌(ぶしょう)高等師範学校、南京の東南大学、浙江大学などの教授歴任、1926年国立中央研究院気象研究所所長。1936年浙江大学学長。1950年中国科学院初代副院長の職につき学術行政に貢献した。全国人民代表大会常務委員でもあった。中国地理学会会長、中国気象学会会長も務めた。

[市川正巳]

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