20世紀日本人名事典 「笠井三郎」の解説
笠井 三郎
カサイ サブロウ
- 生年
- 明治23(1890)年6月9日
- 没年
- 大正10(1921)年6月4日
- 出生地
- 長野県更級郡
- 学歴〔年〕
- 長野県師範学校〔明治43年〕卒
- 経歴
- 長野県更級郡にある中津尋常高等小学校の教師となる。以後、志賀直哉ら白樺派の影響を受け、同僚の赤羽王郎らとともに信州における白樺派自由主義教育運動の中心として活躍。洋画家岸田劉生の展覧会や音楽家柳兼子(民芸運動の先駆者・柳宗悦の夫人)の独唱会などの開催に尽力したほか、小説家武者小路実篤が提唱した新しい村の信州支部長も務めた。のち上伊那郡の南箕輪小学校に転任するが、大正9年その活動が村民たちの反感を買い、村の青年たちから辞職勧告を受け、白樺派の南箕輪事件に発展。10年30歳の若さで没した。その門下からは宮坂栄一や市川慶三ら、のちに長野の教育界で活躍する俊英を輩出した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報