笹野村
ささのむら
[現在地名]米沢市笹野・笹野本町・城南五丁目・泉町一―二丁目・杉ノ目町・諸仏町
屋地村の南西に位置し、笹野山(六六〇・二メートル)の東麓に立地。会津街道に沿う街村。慶長六年(一六〇一)上杉氏が米沢に入部したのち、同街道に沿う村内南東部の南原と称された荒地に下級家臣(原方衆)を配置し、彼らの開墾により笹野町・猪苗代町などの原方屋敷町が形成された。
「伊達正統世次考」によれば、明応四年(一四九五)八月三日、伊達尚宗は「上長井篠野郷」のもとの知行分を大町三河守に安堵している。永禄七年(一五六四)一〇月六日、羽黒山御師慶山は山上・福田・笹野の三郷を大弐に売渡している(「慶山羽黒山知識売券」古文書所収文書)。天文七年(一五三八)の段銭古帳によれば、上長井庄「さゝの」から二五貫五〇〇文を上納している。
笹野村
ささのむら
[現在地名]一宮市笹野
東は尾関村、西は光明寺村に接する。妙光寺の永和四年(一三七八)の橘康成寄進状には篠野と記す。天保村絵図の概高二九一石余、うち二〇石は蔵入地、二九石は藩士埴原氏の預地、残る二四二石余が藩士七人の入会給知。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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