日本歴史地名大系 「筒口御屋敷跡」の解説 筒口御屋敷跡つつぐちおやしきあと 熊本県:熊本市熊本城下高麗門外筒口御屋敷跡[現在地名]熊本市横手一丁目江戸時代には高麗(こうらい)門を出て正立(しようりゆう)寺・長国(ちようこく)寺の南側を経て横手(よこて)・戸坂(とさか)方面に至る道があり、長国寺を過ぎると井芹(いせり)川(現在は小水路)と交差する。その東側一帯を筒口と称し、井芹川に架かる橋を筒口橋と称した。筒口地域にあった長岡氏屋敷を筒口御屋敷と称した。「国誌」は「長岡清記君ノ御館也、往日加藤忠広侯ノ時蒲生飛騨守秀行漂零、忠広侯縁族タル故、当国ニ潜行、即チ当所ニ第宅ヲ構マヘ居ラシムト云」と記している。細川氏入国後の明暦(一六五五―五八)頃の高麗門外絵図には「はたけ」とあり、加藤忠広時代に屋敷地であったかは疑わしい。「国誌」にみえる長岡清記は藩主細川重賢の弟紀休で、長岡氏を称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by