箱森新田(読み)はこのもりしんでん

日本歴史地名大系 「箱森新田」の解説

箱森新田
はこのもりしんでん

[現在地名]氏家町箱森新田

松山まつやま新田の西、北部をあら川が東流し、南北に抜ける原街道沿いに集落を形成する。正保三年(一六四六)に氏家の助左衛門・与次右衛門によって開発されたという。氏家村の枝郷。宇都宮藩領。万治三年(一六六〇)検地が行われ高四八石余・反別二九町一反余、家数二一、同年より街道沿いの屋敷割がなされた(地誌取調)元禄郷帳の高五三石余、天保郷帳の高一一九石余。奥州街道氏家宿の助郷高六九石余を勤めた(往還雑記)。宝永八年(一七一一)村明細帳(土屋光文書)によると高六九石余、田は下々田で三町一反余、畑五一町一反余、うち下々畑が四二町余、屋敷一町一反余、用水堰六、土橋七、日光法事の際は日光街道徳次郎とくじら宿(現宇都宮市)に人馬を出した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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