朝日日本歴史人物事典 「箸尾為量」の解説
箸尾為量
生年:生年不詳
室町時代の武将。応永13(1406)年の記録にみえる箸尾為妙の子か一族と推定される。通称次郎。左衛門尉。箸尾氏は大和広瀬郡箸尾郷を本貫とする国人で,その本拠箸尾城は現在の奈良県広陵町大字的場,萱野,弁財天付近。先祖は藤原氏というが明らかでなく,文永8(1271)年の『西大寺田園目録』にみえるのが初見である。永享1(1429)年6月,国人井戸某が僧頓称坊を殺害した事件を契機に頓称の主筋である豊田,箸尾,越智らの国人は井戸の主人筒井氏を攻撃,以後約11年にわたる紛争に発展する(大和永享の乱)。永享3年8月,筒井順永が当時平田荘荘官であった為量を攻撃すると逆に筒井氏の館を包囲,翌年9月には竜田社を焼き,10月には奈良の町に乱入した。以後も鎮圧に赴いた幕府軍を相手に善戦し,将軍の弟足利義昭を戴いて幕府を震撼させたが,焦土作戦をとる幕府軍に追い詰められ,吉野に潜伏中,発見されて斬られた。<参考文献>秋山日出雄「新検出の『大和箸尾氏系図』」(『神戸女子大学紀要』11号)
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報