アゾレス諸島(読み)あぞれすしょとう(英語表記)Azores

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アゾレス諸島」の意味・わかりやすい解説

アゾレス諸島
あぞれすしょとう
Azores

北大西洋中部、北緯38度、西経27度付近にあるポルトガル領の島々。ポルトガル語名アソレシュAçôres。アゾレスは英語名。ポルトガルの首都リスボンから約1500キロメートル、アメリカ大陸から約4000キロメートルほど離れている。主島サン・ミゲルSão Miguel島以下、サンタ・マリア、テルセイラ、グラシオザ、ピーコ、サン・ジョルジェ、ファイアル、フローリスおよびコルボの9島からなる。総面積約2300平方キロメートル、総人口24万3200(1997推計)。アゾレス海台上の諸火山が海面上に頭を出してできた島々で、火口や温泉が随所にある。また典型的な海洋性気候で、年降水量約1000ミリメートル、頻繁に霧が発生するが、1年を通じて温暖である。このため保養地となっているほか、農業が盛んで、オレンジ、トウモロコシブドウパイナップル、茶、リンゴ、ビート(サトウダイコン)などが栽培される。

 中心都市はサン・ミゲル島のポンタ・デルガーダ(人口約2万5000)で、たばこ、茶、砂糖、魚の缶詰などの工業がある。諸島の主要産業は輸出用商品作物の栽培で、長期にわたりポルトガルの重要な農業地帯であった。また大西洋のハワイともいうべき交通、戦略上の要地で、第二次世界大戦中にはサンタ・マリア島に連合軍の基地が置かれた。住民はポルトガル系を主とする混血が多いが本国とはかなり異なるポルトガル語を話す。

[田辺 裕・柴田匡平]

歴史

マジョルカ島の地図製作者ガブリエル・デ・バルセカの1439年製地図にある記事によれば、1427年ポルトガル人ディオゴ・デ・シルベスによって発見されたことになる。エンリケ航海王子は1439年、国王アルフォンソ5世から本格的な開拓事業を興す許可を得ている。王子の死(1460)後、島嶼(とうしょ)の管理は、王子の養子であるビゼウ公フェルナンド王子の手に移った。この時期、島嶼の開拓は主としてフランドル人が行い、そのためフレミッシュ諸島ともよばれた。これらフランドル人開拓者のなかの著名な人物としては、現存する最古の地球儀の製作(1492)者として知られるマルティン・ベハイムの義父ジョス・ドゥットラ(ファイアル、ピーコ両島の総督)がいる。

 島嶼はその地理的位置から、15世紀末以降、イベリア半島とアフリカ西海岸およびアメリカ大陸との航海における中継・補給基地としての機能を果たした。その象徴的事例として1493年2月18日、第1回航海からの帰途、大時化(しけ)にみまわれたコロンブスはサンタ・マリア島に避難入港した。スペインが制海権を失った16世紀末以降、島嶼周辺は、新大陸やインドの富を積み、スペイン、ポルトガルへ向かう帰航船を待ち伏せるイギリス、オランダ、フランスの私掠(しりゃく)船のたむろする海と化した。1640年12月1日のリスボン反乱に始まる対スペイン独立運動は、翌1641年1月7日、ジョアン4世の使者フランシスコ・オルネラス・ダ・カマラのテルセイラ到着により島嶼でも展開され、1642年3月4日、同島に残るスペイン側最後の砦(とりで)サン・フェリペの落城で完結した。1771年2月26日の布告により島嶼はポルトガルのプロビンシア(県)に昇格。ナポレオン軍の侵入による1807年からの中央での政治危機や、1820年の革命の余波もろに受けながら20世紀を迎える。第一次世界大戦中は北大西洋での連合国側の海軍作戦上の要衝となった。

[青木康征]

世界遺産の登録

アゾレス諸島の第三の島であるテルセイラ島の港町アングラ・ド・エロイズモは大航海時代の中継基地として栄え、その歴史的建造物が1983年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アゾレス諸島」の意味・わかりやすい解説

アゾレス諸島
アゾレスしょとう
Azores Islands

ポルトガルの西方約 1200kmの北大西洋上にある群島。ポルトガル語でアソレス諸島 Arquipélago dos Açoresという。ポルトガルに属し,1976年の憲法によって自治地方となった。群島は三つのグループに分かれ,南東群はサンミゲル,サンタマリア,フォルミガスの各島,中部群はファイアル,ピコ,サンジョルジェ,テルセイラ,グラシオサの各島,北西群はフロレス,コルボの各島からなる。サンミゲル島の南岸にあるポンタデルガダが自治地方の行政中心地となっている。 15世紀前半にポルトガル人によって植民が開始された。火山性の島でしばしば地震に見舞われ,どの島も山が迫り周囲は断崖絶壁が多い。最高点はピコ島のポンタドピコ (2351m) 。夏の平均気温 22℃,冬は 15℃程度と温和なところから,保養地として有名。かつては捕鯨が重要な生業であったが,現在は,マグロ,ボラ,カツオ漁が中心。パイナップル,魚の缶詰,刺繍細工を輸出。またピコ島では,15世紀以降ブドウ栽培が行なわれ,島に広がるブドウ畑の景観は,2004年世界遺産の文化遺産に登録された。面積 2247km2。人口 24万 1592 (1991推計) 。

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