籠山村
つづらやまむら
[現在地名]神林村葛籠山
荒川右岸要害山の西麓にあり、対岸は佐々木村(現荒川町)、西は平林町、南は興屋村に接する。慶長三年(一五九八)色部氏が出羽金山城(現山形県南陽市)に移るまで、平林町とともに平林城の城下を形成していた。村域内には箕輪・要害・館ノ下・古町などの地字がのこる。天正―慶長(一五七三―一六一五)頃成立の色部氏年中行事(色部文書)には正月四日の飯に出仕する小島同名衆の中に「葛山」の名がみえる。正保国絵図には「葛籠山村 百石余」と記される。村上藩領に属し、宝永六年(一七〇九)幕府領、幕末には会津藩領。延享三年(一七四六)の巡見使案内帳(大滝正輔氏蔵)によれば田五町一反四畝余・畑五町七反六畝・屋敷五反余、ほかに見取田二反二畝余・畑二町五反八畝余がある。
籠山村
こもりやまむら
[現在地名]天川村大字籠山
白石山(一一一九・七メートル)東南中腹に位置する。天川三名郷に属する。元和郷帳では「たき山村」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報