米中大使級会談(読み)べいちゅうたいしきゅうかいだん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「米中大使級会談」の意味・わかりやすい解説

米中大使級会談
べいちゅうたいしきゅうかいだん

1955年8月1日~73年2月 20日ジュネーブ,ワルシャワなどで,在外大使を通じて 136回にわたって行われた米中両国の会談国交のない米中両国の唯一のパイプとしての意義をもった。 55年8月ジュネーブでチェコスロバキア駐在アメリカ大使ジョンソン王炳南ポーランド駐在中国大使がおもに台湾をめぐる国際緊張の緩和を目的に討議を開始し,59年9月からワルシャワに移った。 68年1月廖和叔亡命事件があって中断,70年1月再開,アメリカ軍のカンボジア進攻で再び中断した。しかし 72年 R.ニクソン大統領が訪中上海コミュニケのあと,米中間のおもな接触点の1つはパリの大使級会談に移った。 73年2月アメリカの H.キッシンジャー補佐官の訪中で,5月両国連絡事務所がワシントン D.C.と北京に設置され,この会談の役割は終った。

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