出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(佐藤長門)
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麤鹿火・荒甲とも。生没年不詳。5世紀末~6世紀前半の廷臣・武将。武烈・継体・安閑・宣化4朝の大連(おおむらじ)。麻佐良の子。継体天皇の擁立に加わった。継体6年,大伴金村が百済(くだら)に任那(みまな)4県の割譲を認めた際,宣勅使に任じられたが妻の諫言で辞退。同21年筑紫国造(くにのみやつこ)磐井が新羅と結んで反乱をおこすと,大将軍となってこれを討った。宣化元年,那津官家(なのつのみやけ)設置のため,勅をうけて新家(にいのみ)屯倉の穀を運ばせた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
… 物部氏の祖先伝承では,物部氏が大和朝廷の大連(おおむらじ)の職に初めて就いたのは垂仁天皇時代,饒速日命の7世の孫大新河命が大連となり物部連の姓を賜ったときのこととするが,事実は6世紀の初めに,越前出身の継体天皇の擁立にかかわってからであると考えられる。《日本書紀》継体天皇1年2月条によれば,継体天皇即位にさいして大伴金村とともに大連となったのは物部麁鹿火であった。麁鹿火の後をうけて大連に任ぜられた人に,麁鹿火とは系譜的にかなりかけ離れた荒山の子尾輿(おこし)がおり,彼は欽明天皇朝に大連に任じ,大臣(おおおみ)の蘇我稲目とともに朝廷で権力をふるった。…
※「物部麁鹿火」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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