紅沢葉子(読み)ベニサワ ヨウコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「紅沢葉子」の解説

紅沢 葉子
ベニサワ ヨウコ


職業
女優

本名
友野 はな

生年月日
明治34年 8月28日

出生地
神奈川県 横浜市

学歴
神奈川県立高女〔大正8年〕卒

経歴
父は横浜市の米穀乾物商で、一男四女の二女として生まれる。親の反対を押し切って浅草オペラ高木徳子内弟子となったが、高木急逝により18歳で新星歌舞劇団に参加。ここで脚本や舞台監督などをしていた映画監督の古海卓二と知り合って結婚・退団(のち離婚)。その後、大活の俳優養成所1期生に応募して採用され、トーマス栗原監督の「アマチュア倶楽部」で女優として再デビュー。以後、牧野教育映画製作所、日活多摩川などを経て、戦後は松竹大船、日活作品出演。主な出演作品に「蛇性の淫」「心の扉」「人生劇場」「父帰る」などがある。

没年月日
昭和60年 4月27日 (1985年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「紅沢葉子」の解説

紅沢 葉子
ベニサワ ヨウコ

大正・昭和期の女優



生年
明治34(1901)年8月28日

没年
昭和60(1985)年4月27日

出生地
神奈川県横浜市

本名
友野 はな

経歴
18歳で新星歌舞劇団に参加したが、獏与太平監督と結婚し、雑誌「オペラ評論」に携わる。トーマス栗原監督の「アマチュア倶楽部」で女優として再デビュー。以後、牧野教育映画製作所、日活多摩川などを経て、戦後は松竹大船、日活作品に出演。主な出演作品に「蛇性の淫」「心の扉」「人生劇場」「父帰る」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「紅沢葉子」の解説

紅沢葉子 べにさわ-ようこ

1901-1985 大正-昭和時代の女優。
明治34年8月28日生まれ。新星歌舞劇団にはいるが大正9年結婚で退団,同年「アマチュア倶楽部(クラブ)」で映画デビュー。牧野教育映画,帝キネなどをへて,戦後は松竹大船,日活の作品に出演。作品に「人生劇場」「父帰る」など。昭和60年4月27日死去。83歳。神奈川県出身。平沼高女卒。本名は友野はな。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android