高木徳子(読み)タカギトクコ

デジタル大辞泉 「高木徳子」の意味・読み・例文・類語

たかぎ‐とくこ【高木徳子】

[1891~1919]舞踊家女優東京の生まれ。本名、とく。旧姓永井。浅草常盤座において歌とダンス人気を博し、浅草オペラ先駆者として活躍した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「高木徳子」の解説

高木 徳子
タカギ トクコ


職業
女優 バレリーナ

本名
高木 とく

旧名・旧姓
永井

生年月日
明治24年 2月15日

出生地
東京・神田(東京都千代田区)

経歴
明治39年15歳で宝石店の二男・高木陳平と結婚し渡米。ニューヨークポルトガル貴族からバレエを学び、米国やヨーロッパでミュージカルの舞台を踏み成功を収めた。トゥーシューズをはいた日本で最初のバレリーナとなる。大正3年帰国、4年帝国劇場デビュー。“トーダンス”の女王として名をはせ、6年浅草オペラを主宰して、その全盛を築いた。7年松竹と契約するが、興業上でのトラブルや演出家・伊庭孝との愛憎に悩み、28歳で持病ヒステリーから早世した。日本での代表作に「カルメン」「カフェーの夜」などがある。

没年月日
大正8年 3月30日 (1919年)

伝記
私(わたし)がカルメン―マダム徳子の浅草オペラ日本現代演劇史〈大正・昭和初期篇〉 曽田 秀彦 著大笹 吉雄 著(発行元 晶文社白水社 ’89’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「高木徳子」の解説

高木 徳子
タカギ トクコ

大正期の女優,バレリーナ



生年
明治24(1891)年2月15日

没年
大正8(1919)年3月30日

出生地
東京・神田(現・東京都千代田区)

本名
高木 とく

旧姓(旧名)
永井

経歴
明治39年15歳で宝石店の二男・高木陳平と結婚し渡米。ニューヨークでポルトガルの貴族からバレエを学び、米国やヨーロッパでミュージカルの舞台を踏み成功を収めた。トゥーシューズをはいた日本で最初のバレリーナとなる。大正3年帰国、4年帝国劇場にデビュー。“トーダンス”の女王として名をはせ、6年浅草オペラを主宰して、その全盛を築いた。7年松竹と契約するが、興業上でのトラブルなどの理由から28歳で早世した。日本での代表作に「カルメン」「カフェーの夜」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木徳子」の解説

高木徳子 たかぎ-とくこ

1891-1919 大正時代のバレリーナ,女優。
明治24年2月15日生まれ。15歳で結婚してアメリカにわたる。古典バレエ,歌などをならいアメリカ,イギリスを巡演。帰国後の大正4年日本人初のバレリーナとして帝国劇場でデビュー。6年東京浅草の常盤座に出演して歌とダンスで人気をよぶ。これが浅草オペラのはじまりとされる。九州地方巡業中,大正8年3月30日死去。29歳。東京出身。旧姓は永井。本名はとく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高木徳子の言及

【バレエ】より

…影響が大きく現れたのは,22年来日したアンナ・パブロワで,このとき初めて日本人はバレエというものに対して目を開かされた。それより前,高木徳子が1906年に渡米し,14年帰国,帝劇の本興行に参加して,ローシー振付演出の《夢幻的バレエ》に出演,初めて〈トー・ダンス〉なるものをみせた。しかしやはり強い影響を与えなかったようである。…

※「高木徳子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android