日本歴史地名大系 「紙漉町」の解説 紙漉町かみすきまち 青森県:弘前市弘前城下紙漉町[現在地名]弘前市紙漉町城の南東に位置し、大円(だいえん)寺(現在の最勝院寺域)の東側、富田(とみた)村に囲まれた田地の中にある。延宝五年(一六七七)の弘前惣御絵図(市立弘前図書館蔵)に、紙漉町として町割され、普光(ふこう)院南の富田清水付近に紙漉所がある。これらの清水によって紙漉業が営まれたという(新撰陸奥国誌)。同六年の弘前町方屋敷割(八木橋文庫蔵)では「カミシキハダチ」とあり、紙漉頭喜兵衛ほか九軒の町屋があるが、いずれも紙漉職人と思われる。元禄一四年(一七〇一)の地子銀納への改定で、町役一軒につき年間銀五匁を負担した(国日記)。 紙漉町かみすきちよう 愛知県:名古屋市西区紙漉町[現在地名]西区城西(じようさい)二―三丁目北は前(まえ)ノ川、東は中之(なかの)町、南は薬師裏(やくしうら)町、西は江(え)川に臨む南北の町で、ほとんど武家屋敷で占められるが、藩の御用紙漉師辰巳家の紙漉所があり、これが町名の由来となっている。また町を南北に二分する御馬冷(おうまひやし)筋の西端に江川に架かる紙漉橋があった。町の北端に、江戸末期から明治年代にかけての画家川崎千虎の出生地がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by