細倉鉱山跡(読み)ほそくらこうざんあと

日本歴史地名大系 「細倉鉱山跡」の解説

細倉鉱山跡
ほそくらこうざんあと

[現在地名]鶯沢町 南郷

町域西部の南郷なんごう地区にある近世初期より続いた鉱山であったが、昭和六二年(一九八七)閉山鉱床は第三紀中新世の緑色凝灰岩などからなる母岩に浅熱水性割目充填鉱床がみえ、方鉛鉱・閃亜鉛鉱黄鉄鉱などを主に採掘する。対象鉱脈は一八〇鉱脈を超え、昭和九年三菱鉱業の所有となってからは採掘量一千八〇〇万トン、生産鉱石は鉛二五万トン・亜鉛七二万トンに及ぶ日本有数の鉱山であった。製錬による副産物としては銀、ビスマスアンチモンカドミウムなど。鉱石輸送のため栗原電鉄が秋法あきのりまで延び、柳沢やなぎさわ荒町あらまちなどに鉱山関係の諸施設や社宅が並んだ。

大同年間(八〇六―八一〇)の開発という伝承もあり、また天正期(一五七三―九二)より伊達氏の支配下となり、鉛山を中心にしたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む