朝日日本歴史人物事典 「細川昭元」の解説
細川昭元
生年:生年不詳
戦国時代の細川氏京兆家当主。晴元の子。名はのちに信良。天文22(1553)年,三好長慶に迎え入れられて,摂津国芥川城(大阪府高槻市)に入城。永禄1(1558)年,長慶に加冠されて芥川城で元服,元亀2(1571)年12月7日,将軍足利義昭より右京大夫に任じられ,諱の1字をもらい昭元と称した。翌年摂津中島城を三好義継に攻撃され,天正1(1573)年2月には,義継と松永久秀により和泉国堺に敗走した。同年7月18日,義昭が織田信長に反して山城国槙島城に敗れると,信長の命により合戦後は同城の守備に当たり,同3年には丹波国桑田・船井2郡を与えられて,信長の妹お犬を妻とした。
(森田恭二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報