細川昭元(読み)ほそかわ・あきもと

朝日日本歴史人物事典 「細川昭元」の解説

細川昭元

没年:文禄1.5.7(1592.6.16)
生年:生年不詳
戦国時代の細川氏京兆家当主。晴元の子。名はのちに信良。天文22(1553)年,三好長慶に迎え入れられて,摂津国芥川城(大阪府高槻市)に入城。永禄1(1558)年,長慶に加冠されて芥川城で元服,元亀2(1571)年12月7日,将軍足利義昭より右京大夫に任じられ,諱の1字をもらい昭元と称した。翌年摂津中島城を三好義継に攻撃され,天正1(1573)年2月には,義継と松永久秀により和泉国堺に敗走した。同年7月18日,義昭織田信長に反して山城国槙島城に敗れると,信長の命により合戦後は同城の守備に当たり,同3年には丹波国桑田・船井2郡を与えられて,信長の妹お犬を妻とした。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川昭元」の解説

細川昭元 ほそかわ-あきもと

1548-1592 戦国-織豊時代武将
天文(てんぶん)17年生まれ。細川晴元の子。足利義昭に重用され,のち織田信長につかえる。天正(てんしょう)元年信長と対立した義昭が山城(京都府)槙島(まきしま)城で敗れたあと,同城をまもる。3年丹波桑田・船井(京都府)の2郡をあたえられ,信長の妹お犬と結婚した。天正20年5月7日死去。45歳。名はのち信良。通称六郎

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