細川頼有(読み)ほそかわ よりあり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川頼有」の解説

細川頼有 ほそかわ-よりあり

1332-1391 南北朝時代の武将
正慶(しょうきょう)元=元弘(げんこう)2年5月2日生まれ。細川頼春の子。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)のころ畿内や阿波(あわ)などで南朝方とたたかう。延文元=正平(しょうへい)11年備後(びんご)守護となり中国管領(かんれい)の兄頼之に協力した。明徳元=元中7年には兄とともに山名時煕(ときひろ)を追討。明徳2=元中8年9月9日死去。60歳。通称は讃岐十郎。

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367日誕生日大事典 「細川頼有」の解説

細川頼有 (ほそかわよりあり)

生年月日:1332年5月2日
南北朝時代の武将
1391年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の細川頼有の言及

【守護領】より

…鎌倉・南北朝・室町時代の守護の直轄所領・所職。鎌倉時代のものとしては1235年(嘉禎1)に幕府が認めた安芸守護藤原親実の例が著名である。それは国府ならびに同近辺の郡地頭職,在庁兄部(このこうべ)職(国衙在庁官人の支配・指揮権をもつ),祇園神人兄部職(交通・商業活動を行う祇園社神人の支配権をもつ),国内に広く分布する久武名(有勢な国衙在庁の仮名)などから成っており,これらは前守護武田信光さらに宗孝親の体制を継承したものであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」