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隠岐国 おきのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

隠岐国
おきのくに

現在,島根県の隠岐島。山陰道の一国。下国。もと億岐国造が支配。この国の総社である玉若酢神社の社家億岐家は国造の子孫と称し,同家には現在古代の駅鈴と隠岐屯倉印とが保存されている。国府,国分寺ともに隠岐郡隠岐の島町西郷にあった。『延喜式』には知夫 (ちふり) ,海部 (あま) ,周吉 (すき) ,穏地 (おち) の4郡があり,『和名抄』には郷 12,田 585町余と記載されている。神亀1 (724) 年,隠岐は遠流 (おんる) 国の一つに定められ,以来,承久の乱 (1221) には後鳥羽上皇 (→後鳥羽天皇 ) が,元弘の乱 (1331) には後醍醐天皇が本島に配流された。鎌倉時代には近江の佐々木氏が出雲国とともにこの地の守護を兼ね,南北朝時代には山名氏が支配した。室町時代から戦国時代にかけては京極氏 (佐々木氏) ,尼子氏,隠岐氏が争い,安芸の吉川氏の支配に帰した。江戸時代には慶長5 (1600) 年,堀尾吉晴が封じられ,寛永 11 (1634) 年には京極忠高がこれに代わり,寛永 15年以降,天領となり,松平氏の出雲藩預けとなった。この時代にも流人の島として配流されるものが多かった。明治2 (1869) 年2月に隠岐県となり同年8月には大森県に合併,明治3 (1870) 年浜田県と改称,1876年に島根県に編入。

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デジタル大辞泉の解説

おき‐の‐くに【隠岐国】

隠岐

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百科事典マイペディアの解説

隠岐国【おきのくに】

旧国名。隠州とも。山陰道の一国。今の島根県隠岐諸島。《延喜式》に下国,4郡。中世にかけて流刑地として有名。近世初め幕府直轄領として松江藩松平氏の預り支配となり,俵物を長崎へ送る。
→関連項目島根[県]中国地方

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

おきのくに【隠岐国】

現在の島根県隠岐諸島を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で山陰道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は下国(げこく)で、京からは遠国(おんごく)とされた。国府と国分寺はともに隠岐の島町におかれていた。古来、流人(るにん)の島と呼ばれ、1221年(承久(じょうきゅう)3)には後鳥羽(ごとば)上皇、1332年(元弘(げんこう)2)には後醍醐(ごだいご)天皇が配流された。守護鎌倉時代南北朝時代室町時代を通じて、ほとんど出雲(いずも)国(島根県)の守護が兼ね、戦国時代には尼子(あまこ)氏、さらにこれを滅ぼした毛利(もうり)氏の支配下に入った。江戸時代には幕府直轄領となった一時期を除き松江藩の預かり領であった。1868年(明治1)に鳥取藩所管となり、翌年に隠岐県となった。のち大森(おおもり)県に併合され、1870年(明治3)に浜田(はまだ)県などを経て1876年(明治9)に島根県に編入された。◇隠州(いんしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

おきのくに【隠岐国】

旧国名。現在の島根県隠岐郡,日本海上の火山島群である隠岐諸島。知夫里(ちふり)島,西ノ島,中ノ島などの島前(どうぜん)と北東方の一島の島後に大別される。
【古代】
 山陰道に属する下国(《延喜式》)。出雲国よりも早くヤマト国家の朝廷に属したと考えられ,意岐国造が任じられていた。ついで7世紀末には,島前に海評,島後に次(すき)評の(こおり)の制度が施行されていたことが,藤原京跡出土の木簡で確認される。律令制下の隠岐国は,《続日本紀》の702年(大宝2)の記事に初見するが,島前に知夫(ちふ∥ちふり)郡・海部郡,島後に周吉(すき)郡・穏地(おち)郡がおかれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

隠岐国
おきのくに

島根半島の北方、最短距離で44キロメートルの日本海に浮かぶ島嶼(とうしょ)の旧国名。島根県に属す。島嶼は四つの大きな島と約180の無人小島からなる。本土に近い中ノ島、西ノ島、知夫里島(ちぶりしま)の3島を島前(どうぜん)、島前の北東12キロメートルに浮かぶ大きな島を島後(どうご)という。『延喜式(えんぎしき)』によると、島前に知夫(ちぶり)、海部(あま)の2郡、島後に周吉(すき)、穏地(おち)の2郡があった。国府は島後の隠岐の島町下西(しもにし)において確認されている。国庁跡に近い玉若酢命(たまわかすのみこと)神社の社家億岐(おき)氏宅には、駅鈴(えきれい)と隠伎倉印(おきそういん)(いずれも国指定重要文化財)が所蔵されている。
 鎌倉期の守護は佐々木義清(よしきよ)の系統、南北朝期は山名(やまな)氏、室町期は京極(きょうごく)氏と、中世を通じてほとんど出雲(いずも)国守護との兼任であった。戦国期、尼子(あまご)氏の支配に入ったが、尼子滅亡後は毛利(もうり)氏の支配するところとなった。関ヶ原の戦い後、堀尾(ほりお)氏、ついで京極氏が出雲・隠岐2国の太守に任じられ、隠岐に代官を派遣した。1638年(寛永15)松平直政(なおまさ)が松江藩主となるや、隠岐は幕府天領に編入され、松江藩預地(あずかりち)とされ、藩から郡代、代官を派遣して治めた。しかし、1687年(貞享4)3代藩主松平綱近(つなちか)は、隠岐の統治を返還したので、以後34年間石見(いわみ)銀山領代官の支配下に置かれた。1720年(享保5)幕府はふたたび松江藩に隠岐を兼管させ、爾来(じらい)幕末に及んだ。このように、近世の隠岐支配は複雑であったが、このことが、1868年(明治1)郡代を放逐して自治機関をつくる隠岐騒動、その翌年の徹底した廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)につながるのである。隠岐は古代から流人(るにん)の島といわれ、後鳥羽(ごとば)上皇、後醍醐(ごだいご)天皇をはじめ、平安時代の小野篁(おののたかむら)、江戸時代の飛鳥井雅賢(あすかいまさかた)など多数の人々が配流された。
 1868年鳥取藩の管轄下に入り、翌年2月隠岐県として独立、同年8月大森県に編入されて、70年浜田県となったが、翌年11月分離して島根県に入り、12月には鳥取県に、さらに76年島根県に復した。[藤岡大拙]

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