コンベルソ(その他表記)conversos

改訂新版 世界大百科事典 「コンベルソ」の意味・わかりやすい解説

コンベルソ
conversos

スペイン語で〈改宗者〉の意。とくにイベリア史では,キリスト教へ改宗したユダヤ人をいう。ユダヤ人のイベリア半島への定住はローマ時代,とくに紀元後のことである。彼らはセファルディムと呼ばれた。西ゴート時代には,587年の西ゴートのカトリック化以後,ユダヤ人への圧迫が強まっていった。イスラム時代にはイスラムの侵攻に協力したこともあってユダヤ人は優遇され,コルドバを中心に経済(奴隷貿易などの商業,高利貸付),文化(聖典注釈学,医学,天文学)面で活躍し,外交・財務担当者,医師などとして支配者に仕える者もいた。1031年の後ウマイヤ朝崩壊後の小王国分立時代にもユダヤ人は一般に重用されたが,12世紀に北アフリカから侵入したムラービト勢力はユダヤ人を苛酷に迫害したため,多くのユダヤ人が北方のキリスト教王国に逃亡した。そこではユダヤ人は財政面で有用であったため国王厚遇をうけ,ペドロ1世時代のサムコル・ハーニレビのように,国政に重要な地位を占める者も現れた。

 民衆はこうしたユダヤ人に反感を抱き,とりわけユダヤ人徴税人への憎悪は強かった。教会はユダヤ人の信仰の自由を認めながらも,ユダヤ人マークの着用,シナゴーグの新修築の禁止などの規制措置を講じたが,王権は多くの場合これを無視してユダヤ人を庇護した。民衆のユダヤ人への敵意を背景として,1391年セビリャで反ユダヤ人暴動が勃発し,カスティリャ,アラゴン両王国の各地に波及した。この際,迫害を免れるために多くのユダヤ人がキリスト教に改宗したが,彼らをコンベルソ(改宗ユダヤ人)という。彼らはまたスペイン人キリスト教徒(旧キリスト教徒)に対して新キリスト教徒とも呼ばれ,マラノス(豚の意)という蔑称もある。ユダヤ人の改宗者は西ゴートのカトリック化,13世紀の托鉢修道会による改宗勧誘などの際にも見られたが,1391年の迫害を契機とする改宗はその規模から見て極めて重要である。コンベルソは改宗後も以前と同様な職業にとどまったため,王権にとって有用な者が多く,社会的に高い地位につき,またブルゴス司教パブロ・デ・サンタ・マリアや年代記作者バレーラ,プルガールのように聖職者や文人として著名な人物も輩出したが,それ故に民衆の憎悪も激しく,1449年のトレド,73年のコルドバなどで反コンベルソ暴動が起こった。こうしてコンベルソは国内の政情不安の一因となり,また彼らの中にひそかにユダヤ教を信仰し続ける者もいたため,カトリック両王は80年カスティリャに異端審問所を設立して,コンベルソ問題の解決を図った。一方ユダヤ人に対しては,1412年にユダヤ人居住区への強制的居住を軸とする包括的な規制勅令,43年には逆に保護的勅令が出されたが,カトリック両王は彼らの存在がコンベルソ異端者の原因であるとして92年ユダヤ人追放令を発し,15万~20万人のユダヤ人が,ポルトガル,北アフリカ,フランス,イタリアなどに四散。97年にはポルトガルでも追放令が出され,多くはネーデルラントに移住した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コンベルソ」の解説

コンベルソ
converso

イベリア半島において,キリスト教に改宗したユダヤ人をさす。中世以降,半島では反ユダヤ感情がしばしば民衆暴動へとつながり,その結果ユダヤ人の改宗が進んだ。また1492年のユダヤ教徒追放令もコンベルソ大量出現の原因となった。近世スペイン社会は改宗後もコンベルソを厳しく監視し,異端審問所の取締りや,先祖にユダヤ人やモロ人(ムーア人)の血が混じらないことを名誉とする社会通念「血の純潔」で彼らを差別したが,18世紀に入ると差別は徐々に解消された。

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