細野三千雄(読み)ホソノ ミチオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「細野三千雄」の解説

細野 三千雄
ホソノ ミチオ


肩書
衆院議員(社会党),立教大学教授

生年月日
明治30年3月22日

出生地
愛知県海部郡八開村

出身地
富山市

学歴
東京帝大法科〔大正9年〕卒

経歴
司法官の子に生まれ、東大在学中は三輪寿壮らと新人会に属し、卒業後は大正11年、立教大学教授となったあと、弁護士として神戸の川崎造船争議や秋田県下の煙害争議など労農運動に携わり、14年結成の農民労働党はじめ日本労農党、社会大衆党などの本部役員を務めた。戦後は昭和22年に秋田第1区から代議士に初当選、以後当選5回。新憲法制定に際しては天皇制存続を主張し、23年には文部政務次官に就任している。また社会党分裂後は右派社会党の秋田県連会長に。

没年月日
昭和30年6月25日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「細野三千雄」の解説

細野 三千雄
ホソノ ミチオ

大正・昭和期の労働運動家,弁護士,政治家 衆院議員(社会党);立教大学教授;社会党秋田県連委員長。



生年
明治30(1897)年3月22日

没年
昭和30(1955)年6月25日

出生地
愛知県海部郡八開村

学歴〔年〕
東京帝大法科〔大正9年〕卒

経歴
司法官の子に生まれ、東大在学中は三輪寿壮らと新人会に属し、卒業後は大正11年、立教大学教授となったあと、弁護士として神戸の川崎造船争議や秋田県下の煙害争議など労農運動に携わり、14年結成の農民労働党はじめ日本労農党、社会大衆党などの本部役員を務めた。戦後は昭和22年に秋田第1区から衆院議員に初当選、以後当選5回。新憲法制定に際しては天皇制存続を主張し、23年には文部政務次官に就任している。また社会党分裂後は右派社会党の秋田県連会長に。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細野三千雄」の解説

細野三千雄 ほその-みちお

1897-1955 大正-昭和時代の弁護士,政治家。
明治30年3月22日生まれ。自由法曹団に参加,大正11年日本農民組合の顧問弁護士となり,秋田県を中心農民運動,小作争議にかかわる。戦後社会党の結成に参加。昭和21年衆議院議員(当選5回)。昭和30年6月25日死去。58歳。愛知県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「細野三千雄」の解説

細野 三千雄 (ほその みちお)

生年月日:1897年3月22日
大正時代;昭和時代の労働運動家;政治家。衆議院議員(社会党)
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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