朝日日本歴史人物事典 「結城義親」の解説
結城義親
生年:天文10(1541)
戦国・安土桃山時代の武将。陸奥小峰城主,のち白河城主。白河城主晴綱の弟。通称七郎。隠居して不説斎。初め庶家小峰氏の名跡を継承するが,永禄年間(1558~70)半ばに病弱の兄に代わって白河結城氏の実権を握り,当主同様の地位に立って政治的手腕を発揮する。佐竹義重に対抗し蘆名,那須氏と結ぶが天正3(1575)年に敗北し,養子となった義重の次男義広に実権を渡す。同15年,義広の蘆名氏入嗣に伴い白河城主に復帰すると,翌々年,政局の変化をみて佐竹氏から離反し伊達政宗に属する。同18年豊臣秀吉による奥羽仕置の一環で白河領を失い,政宗に従って仙台に移り,その地で野心的生涯を閉じた。<参考文献>『結城宗広』
(市村高男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報