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結城義親 ゆうき よしちか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

結城義親 ゆうき-よしちか

1541-1626 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)10年生まれ。結城顕頼(あきより)の子。陸奥(むつ)小峰城(福島県)城主。結城義顕(よしあき)を追って宗家の白河城主となる。天正(てんしょう)18年豊臣秀吉奥羽仕置で所領をうしない,のち仙台の伊達政宗(まさむね)につかえた。寛永3年2月16日死去。86歳。通称は七郎。号は不説。

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朝日日本歴史人物事典の解説

結城義親

没年:寛永3(1626)
生年:天文10(1541)
戦国・安土桃山時代の武将。陸奥小峰城主,のち白河城主。白河城主晴綱の弟。通称七郎。隠居して不説斎。初め庶家小峰氏の名跡を継承するが,永禄年間(1558~70)半ばに病弱の兄に代わって白河結城氏の実権を握り,当主同様の地位に立って政治的手腕を発揮する。佐竹義重に対抗し蘆名,那須氏と結ぶが天正3(1575)年に敗北し,養子となった義重の次男義広に実権を渡す。同15年,義広の蘆名氏入嗣に伴い白河城主に復帰すると,翌々年,政局の変化をみて佐竹氏から離反し伊達政宗に属する。同18年豊臣秀吉による奥羽仕置の一環で白河領を失い,政宗に従って仙台に移り,その地で野心的生涯を閉じた。<参考文献>『結城宗広

(市村高男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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