小峰城(読み)コミネジョウ

デジタル大辞泉 「小峰城」の意味・読み・例文・類語

こみね‐じょう〔‐ジヤウ〕【小峰城】

白河城異称

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

共同通信ニュース用語解説 「小峰城」の解説

小峰城

福島県白河市にある平野部の丘陵を利用して造られた平山城ひらやまじろ。14世紀中ごろの室町時代に築かれた城が始まりとされる。江戸幕府が開かれた後に4年かけて大改修され、1632年に完成、現在の石垣城郭基礎となった。1868年に起きた戊辰ぼしん戦争では白河市も戦火に見舞われ、城内建物一部焼失した。

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日本の城がわかる事典 「小峰城」の解説

こみねじょう【小峰城】

福島県白河市にあった平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。東北地方にはめずらしい総石垣の城で、盛岡城(岩手県盛岡市)、若松城会津若松市)とともに、東北三名城の一つに数えられている。南北朝時代の1340年(興国1/暦応3)に、南朝に属し、その後北朝方に転じた白河結城氏の結城親朝が築城したといわれ、以来、白河結城氏の居城となった。1590年(天正18)、豊臣秀吉による白河結城氏の改易後は、会津を領国とした蒲生(がもう)氏の、次いで上杉氏の、そして関ヶ原の戦いの後には再び蒲生氏の属城となった。その後、同城の城主丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平氏松平氏、阿部氏などめまぐるしく変わり、明治維新を迎えた。小峰城は丹羽氏時代の1632年(寛永9)には同城の象徴ともいえる御三階櫓(ごさんがいやぐら)(三重櫓)が建設されるなど、城の整備拡張が進んだが、戊辰戦争下の1868年(慶応4)に新政府軍と奥羽越列藩同盟軍との戦いの舞台となり、その際、城の大半を焼失した。このため、城跡には曲輪(くるわ)・土塁・石垣・水堀だけを残すのみとなったが、1991年(平成3)には当時の史料に基づいて木造の御三階櫓が、1994年(平成6)には前御門の復元が行われた。天守などの城郭はコンクリート造による外観復元が多い中、小峰城の御三階櫓は、木造により忠実に復元されたものである。また、戊辰戦争で焼失を免れた太鼓櫓は明治に入り民間に払い下げられて移設、改造が施された。この太鼓櫓は1930年代に現在地に移設されたもので、当時の姿のままではないが茶室として使われている。なお、城跡は城山公園となっており、園内には結城氏や阿部氏などのかつての城主に関する資料を展示した白河集古苑や白河バラ園がある。JR東北本線白河駅から徒歩約10分。◇白河城とも呼ばれる。また白河小峰城とも通称される。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小峰城の言及

【白河[市]】より

…市域は阿武隈川上流域にあり,標高350m前後の河川沿岸低地とそれらをとりまく標高450~600mの丘陵地からなり,南西部は栃木県に接する。中心市街地は阿武隈川南岸の段丘上に位置し,江戸時代から小峰城の城下町として形成され発展した。明治10年代の火災で町の大半が焼失したが,町人町には昔の町割りが残っており,丁字路や屈曲する街路がみられる。…

※「小峰城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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