国家の行為のうち高度な政治的性格をもつものを指す。イギリスのact of state,アメリカのpolitical question,フランスのacte de gouvernement,ドイツのRegierungsaktといった語は,ほぼこの統治行為の観念に当たるとされる。日本では,日本国憲法の下で裁判所がいっさいの法律上の争訟について裁判権をもち,とりわけ違憲立法審査権を有することとなり,それとの関連で,統治行為が司法権行使の限界を示す観念として論じられてきた。すなわち,憲法81条の定める違憲立法審査制度の下で,裁判所は原則として国家のすべての行為について合憲性の審査を加えることができるが,そこには一定の限界があり,統治行為にあたるものについては審査を控えるべきだとする考えである。これを統治行為論,または,政治問題political questionの法理とよぶ。
統治行為論に基づき事件を処理した裁判例として,最高裁判所の苫米地(とまべち)事件に対する判決があげられる。それは,内閣により行われた衆議院の解散が憲法に違反するとして訴えた事件であるが,最高裁判所は,1960年に,憲法の権力分立の制度の下においても司法権の行使についておのずから限界があり,あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるわけでなく,衆議院の解散行為のように,直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は司法審査権の外にあるとした。この判決を例としつつ,統治行為論を司法権の限界を語る観念として肯定する学説上の立場は多い。ただし,その説明のしかたにおいて異なるものがみられる。まず,司法権の範囲は,憲法のうたう国民主権や権力分立の原理を基礎として確定されるはずであり,高度の政治性を有する事項については,政治部門の決定するところにゆだねるのが民主制の政治原理に適合すると説明する立場がある。あるいは,司法権そのものに内在している性格上,高度な政治性をもつ国家行為に対しては権限行使ができないはずだとの説明もある。これに対し,司法作用の意味は流動的であり,権力分立の原理から司法権の範囲が論理的に確定できるものでないこと,司法権の内在的制約といってもそれがなんであるかは明確でなく,いかなる国家行為が統治行為にあたるかの説明には役だたないといったことが指摘される。さらに,司法権が政治的部門との関係や問題の特別な性格にてらして,独自に裁量的に判断して,司法権の行使を自制する場合が統治行為論だと説明する立場がある。これによれば,何が統治行為にあたるかは,問題の個別の性格にかかわっており,その判断はもっぱら裁判所にゆだねられ,判例の積重ねにより確定されることになろう。
これらとは別に,統治行為論を否定する立場がある。それは,何が統治行為ないし政治問題にあたるか明確でないこと,法治国家の原理のもとでは,国家行為がすべて法律に基づいて行われ,それに対して裁判所が法的な判断を加えることができるはずであり,そこに裁判所の法的判断の排除を前提とする観念を持ち込むのは適切でないことを理由とする。
統治行為にあたるとされる事項は,外国の国家や政府の承認,条約の締結などの外交上の問題,国会議員の懲罰や議事手続などの国会の自律権に属する問題,国務大臣の任免のような政治的決定にゆだねられていることなどがあげられる。このように該当事項を列挙して,それらの場合は必ず司法審査の範囲外におかれるとすることは正しくない。アメリカ合衆国の裁判例をみても,時の経過や問題にかかわる事情の違いに応じて審査が変化することがあるからである。また,それらの事項のうち,あえて統治行為という観念を使わなくても司法審査の範囲外におかれることの説明がつくものもある。国会議員の懲罰,議事手続,大臣の任免(憲法58,68条)などは,立法府や行政府の自律権や裁量にゆだねられることが憲法上明白であり,統治行為の観念を無用とする例といえよう。したがって,前述の衆議院の解散についての最高裁判所の判断を,統治行為論を適用した例とみる必要はないとする学説もある。そこで,統治行為論の適用が最も問題とされる領域は,外交上の問題や憲法9条にかかわる問題だとされる。たとえば,安保条約が憲法9条に違反するか,自衛隊が憲法9条に違反するかという問題がそれである。判決のなかには,いわゆる砂川事件に対する1959年の最高裁判所判決に代表されるように,〈一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り〉それらの問題が高度の政治性をもつため司法審査の範囲外にあるとの判断を示す場合がある。このような判決のしかたは,統治行為論と似ているが,〈一見極めて明白に違憲〉であるといえるか否かの裁判所の判断が示されるため,統治行為論の典型例とはいえないようである。
憲法問題は政治的性格をもつことが多い。〈高度な政治性〉を理由として,裁判所が違憲審査権の行使をことごとく回避するならば,違憲立法審査制度を設けた意義がそこなわれてしまう。とくに,人権の保障のためにその制度は十分活用されることが肝要であり,統治行為論は,たとえその存在を肯定できるとしても,きわめて慎重に適用されることが求められるのである。
→違憲立法審査制度
執筆者:戸松 秀典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
高度の政治性をもった国家行為をさす。政治行為ともいう。統治行為は高度の政治性を帯びているため、その適否を裁判上で解決するより、国会や内閣などの政治部門において処理することが妥当であるということから、とくに裁判所での審査から除外される行為をさす場合に用いられる。フランスではacte de gouvernement(統治行為)、ドイツではRegierungsakt(統治行為)といい、アメリカではpolitical questions(政治問題)という観念のもとに論じられている。学説の多くもこの観念を認めている。すなわち、高度の政治性をもった国家行為ないしは直接国家の利益に関係する事項については、政治的に中立である裁判所の判断ではなく、国民に責任を負う国会または政府の判断にゆだねるのが妥当であると考えられている。統治行為のリストには、内閣・国会の組織や運営の基本事項に関する行為、内閣・国会の相互関係の基本事項に関する行為、外交・治安・防衛などに関する行為などがあげられる。
日本においては、最高裁判所が砂川事件を経て、苫米地(とまべち)事件(1952年、吉田内閣による抜打ち解散を憲法違反であるとして苫米地義三衆議院議員が提訴した事件)の判決(1960年6月8日)において、統治行為ということばは用いられていないが、統治行為の理論を認めたといわれている。
[池田政章]
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…まず英米型の司法は〈事件性〉をその中核的要素としており,相互に法的利害関係が対立する当事者間の具体的な争訟事件が裁判所に提訴された場合にのみ司法権は行使されるものであり,抽象的・一般的に法令その他の国家行為を審査することはできないものとされている。さらに事件性の要件が満たされた場合でも憲法や法律によって立法権と行政権に与えられている〈裁量権〉の範囲内の問題については司法審査権は及ばないとされ,また高度に政治的な一定の国家行為についてはそれを〈統治行為〉と呼んで司法審査の対象から除外されると解する考え方も有力である。一般に司法権の立法権・行政権に対する限界に関しては,裁判所は民主的な選挙によって組織されるものではなくまた直接的な民主的統制を受ける機関でないことをおもな理由として司法審査権を狭く限定づけようという考え方と,法的判断に適する問題である限り法の支配の貫徹のために司法審査権の及ぶ範囲を広く認めようという考え方との対立があり,学界で活発な議論が行われている。…
※「統治行為」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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