1957年7月に東京都砂川町(現立川市)の米軍基地に立ち入ったとして、デモの参加者7人が刑事特別法違反の罪に問われた。東京地裁は59年3月、駐留米軍は憲法9条が禁じた「戦力」に当たるとして全員に無罪を言い渡した。検察側は高裁へ控訴せず最高裁に直接上告。最高裁は59年12月、駐留米軍は憲法に違反せず、安保条約は「司法審査権の範囲外」と判断して一審判決を破棄、差し戻した。後に罰金2千円の有罪判決が確定した。
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1955~57年(昭和30~32)東京都北多摩郡砂川町(現立川市)における米軍立川飛行場拡張反対闘争をめぐる事件。基地闘争の天王山といわれた。防衛分担金削減を条件に米空軍基地拡張要求をのんだ鳩山(はとやま)一郎内閣は、55年5月地元に接収の意向を伝えるが、砂川町ではただちに基地拡張反対同盟を結成、町をあげての闘争体制を整え、運動は三多摩地区労協と原水禁運動との提携に発展していく。9月の強制測量は反対派、警官あわせて5000人が衝突、負傷者100人を出す闘争最初の山となり、条件闘争派の顕在化という厳しい状況のなかで、反対同盟は「土地に杭(くい)は打たれても心に杭は打たれない」と徹底抗戦を声明した。ついで11月には社会党・総評の支援動員中止のすきをついて測量が強行され(2名起訴、第一次砂川事件)、反対派の苦難の時期が続いた。
孤立した反対派は以後世論喚起に努め、それは基地問題文化人懇談会結成、全学連の支援方針決定、総評の支援強化・共産党との共闘方針採択を経て、1956年9月、共産党、日本平和委員会、全学連を正式構成員に加えた21団体の砂川支援団体連絡会議として結実する。こうして10月の強制測量は武装警官2000人余、反対派6000人余が衝突する闘争の峠となり、政府は測量中止を発表した。
その後、1957年7月土地返還請求訴訟を起こしていた基地内民有地の強制測量に反対して第二次砂川事件があり、7名が起訴された。この訴訟で59年3月30日東京地方裁判所は米軍駐留は憲法第9条違反であるとして無罪判決を下した。いわゆる伊達(だて)判決である。時まさに日米安全保障条約改定作業中であり、検察側は最高裁判所に跳躍上告、同年12月16日、最高裁判所は、外国軍隊は憲法第9条にいう戦力にあたらないから米軍の駐留は憲法に違反しないとし、また、米軍駐留を定めた安保条約は高度の政治性を有し、司法裁判所の審査にはなじまないとして、事実上の安保合憲・統治行為論により原判決を破棄、東京地裁に差し戻した(63年12月有罪確定)。1か月後安保条約は調印されたが、同裁判は日米安全保障条約の憲法適合性を争点とする最初の裁判として重大な意義をもった。
[荒川章二]
『伊藤牧夫他著『砂川』(1959・現代社)』▽『宮岡政雄著『砂川闘争の記録』(1970・三一書房)』▽『田中二郎他編『戦後政治裁判史録 第三巻』(1980・第一法規出版)』
日米安保条約および米駐留軍の合憲性が争われた事件。1957年7月8日,東京調達局は,米駐留軍が使用する東京都砂川町(現,立川市)の基地拡張のために測量を強行したが,これを阻止しようとする基地拡張反対派のデモ隊の一部が米軍基地内に立ち入り,刑事特別法2条違反で起訴された。この訴訟で,被告人らは,安保条約およびそれに基づく米国軍隊の駐留が憲法前文および9条に違反すると主張したので,一大憲法訴訟となった。第一審の東京地方裁判所は,59年3月30日,安保条約は違憲で,被告人らを無罪とするという判決を下した(いわゆる伊達判決)。その理由は,米国軍隊の駐留によって,日本が自国と直接関係のない武力紛争に巻き込まれるおそれが絶無ではなく,これは,憲法の精神に違反する疑いがある,しかも,米国軍隊の駐留を日本政府が許容していることは,指揮権の有無等にかかわらず,結局,9条で禁じられている戦力の保持に該当する,というものであった。この判決に対して,検察側は,異例の跳躍上告を行った。そして,これを受けて,最高裁判所は,59年12月16日,原判決を破棄差戻しする判決を下した。判決は,9条で禁じられている戦力とは,日本が主体となって指揮権,管理権を行使しうる戦力をいい,外国の軍隊は,たとえそれが日本に駐留するとしても,9条でいう戦力には該当しないと述べ,さらに日米安保条約のように高度の政治性のある問題については,〈一見きわめて明白に違憲無効と認められるのでない限り〉は裁判所は司法審査権をもたないといういわゆる統治行為論を採用したのである。判決が下されたのは,安保条約の改定を目前にひかえ,いわゆる60年安保闘争が盛上がりを見せはじめていた時期であっただけに,この判決が客観的に果たした政治的役割は決して少なくなかった。
→違憲立法審査制度 →戦争の放棄
執筆者:山内 敏弘
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1950年代後半に展開された最大の米軍基地反対闘争。安保条約と憲法9条問題を焦点とする裁判へと発展した。55年(昭和30)東京都砂川町(現,立川市)で米空軍立川基地拡張のため民有地の強制測量が開始されると,住民は強く反発。以後労働組合員・学生も参加した強力な反対運動が組織され,流血の事態も発生。57年激しい反対運動のなかで,基地内に立ち入った7人を検察が日米行政協定にともなう刑事特別法違反で起訴。59年東京地裁が米軍駐留を憲法違反として全員に無罪を言い渡すと(伊達判決),検察は異例の飛躍上告を実行。最高裁は安保条約には高度の政治性があり,裁判所の審査になじまないとの判断を示し,原判決を破棄した。
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(2016-3-10)
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…刑事手続に関しては,施設または区域内での逮捕等(10条),差押え・捜索等(13条),合衆国軍隊との間の被疑者の引渡し(11条),受領(12条)などのほか,共助に関する規定が定められている。なお,1957年に起こった砂川事件では本法の違反が問題となり,その根拠となっている安保条約や米軍の駐留がそもそも憲法違反ではないかが争われた。【山口 厚】。…
…たとえば,安保条約が憲法9条に違反するか,自衛隊が憲法9条に違反するかという問題がそれである。判決のなかには,いわゆる砂川事件に対する1959年の最高裁判所判決に代表されるように,〈一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り〉それらの問題が高度の政治性をもつため司法審査の範囲外にあるとの判断を示す場合がある。このような判決のしかたは,統治行為論と似ているが,〈一見極めて明白に違憲〉であるといえるか否かの裁判所の判断が示されるため,統治行為論の典型例とはいえないようである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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