法治国家Rechtsstaatとは,一言でいえば,政治が法によって支配される国家をいい,ドイツの学界でその原理は法治主義と呼ばれる。今日の法学においては,法治国家という語は二つの意味に用いられている。
第1に,形式的意味での法治国家とは,すべての国家権力の発動と限界を議会の定立した法律によって規範化し,独立の裁判所の権威によってその法律秩序を維持しようとする国家をいう。形式的意味の法治国家は,したがって〈法律国家Gesetzesstaat〉と呼ばれることがある。ここにいう法治国家においては,ことに行政および裁判の法律適合性の原則を確立することが重視され,また,行政権の行為によって国民の権利を侵害する場合には議会の行為としての法律に基づかなければならぬという〈法律の留保〉の原則を保障すべきことが要請される。
第2に実質的意味での法治国家の観念は,国家と国民との関係を内容的にとらえようとする。すなわち,そこでは,個人の尊厳を最高の価値と認め,すべての政治の目的はそれに仕えるものとみなし,憲法をもって個人の基本的人権を保障し,法律といえどもこれを侵すことを許さぬものとし,裁判所の権威によってその保障を確保しようとする国家が考えられている。よく知られているように,イギリスの政治体制の根本原理とされる〈法の支配rule of law〉の思想などは,そうした意味を多分に含んでいるといってよかろう。
法治国家の原理は,いうまでもなく専制的な権力によって絶対君主が恣意的に支配した警察国家Polizeistaatに対する反動として,個人の自由な生活領域を国家権力による侵害から擁護しようという政治的原理ないし政治的要求の標語として唱えられたものである。今日では,それは諸国においてほとんど自明の公理のように考えられている。もちろん,この原理がどのように実現されるかは,国により時代によって趣を異にし,必ずしも一様ではない。しかし,なんといっても,法治国家の観念を生んだのはドイツであり,その意味でそれはドイツに特有の内容と色彩を身につけているということができる。
ここで,ドイツにおける法治国家論の進展に一瞥を投ずることにしよう。ドイツにおいて法治国家の観念をはじめて体系的に説いた代表的提唱者は,ローベルト・フォン・モールRobert von Mohl(1799-1875)であった。モールは,その自由主義的世界観によって,これを説明した。彼によれば,法治国家は,国民によってその生活目的として承認されたいっさいの自然的諸力の発展を保護し促進することを目的としている。このために,統治権力の活動を法秩序の枠内においてのみ行わしめるとともに,もろもろの力の発展を,国民の力が及ばない場合に促進する任務を有しているのが,すなわち法治国家であるという。
ここで法治国家と考えられたものが,実際にはかなりの程度において,精神主義的要素を有するものであったことは,明らかであろう。
しかし,法治国家の観念には,その後いろいろな変遷が見られる。やがて法治国家の観念の重点は,国家作用の目的よりはむしろその手段方法におかれるようになった。そこではフリードリヒ・ユリウス・シュタールFriedrich Julius Stahlの述べるところが,注目される。彼によれば,〈国家は法治国家たるべきだ。これは現代の合言葉であり,また発展の原動力でもある。それは一方では国家活動の進路と限界を,他方では国民の自由にまかせられた領域を,法によって厳密に規定し,不可侵のものとして保障する。これが法治国家の概念である。……法治国家とは,そもそも国家の目的や内容Ziel und Inhaltを意味するものではなく,それらを実現するための態様と性格Art und Charakterをさすにすぎない〉。これらの言葉で述べられている法治国家といわれるものが,形式的法治国家に相当するものであることは明瞭である。
かような形式的法治国家の観念は,時の経過とともにドイツでは,一般国家学上の原理というよりはむしろ,行政権に対する法律的拘束の原理として,行政法学の領域において一般の注目をひくようになった。そうして,このような形式的法治国家の観念に理論的体系づけを与え,それをいっそう精密化したのが,ドイツ行政法学の創始者といわれるオットー・マイヤーOtto Mayerである。彼によれば,法治国家は,次のような二つの内容をもつと考えられる。一つは,行政における〈法律の支配Herrschaft des Gesetzes〉ということである。法律の支配とは,議会の議決した法律が他の国家機関を拘束するということを意味し,法律だけが法規創造力を認められ,行政権による命令はいかなる場合にも法律に抵触することができないという〈法律の優位Vorrang des Gesetzes〉の原則をいう。他の一つは,〈法律の留保Vorbehalt des Gesetzes〉である。ここに法律の留保とは,国家権力による国民の権利義務に対する侵害は行政権によっては許されず,立法権の行為である法律に留保されるべきだという原則をいう。
そして,マイヤーによれば,法律に違反して行われた行政に対しては,通常の司法裁判所ではなく,とくにそのために設けられた行政裁判所(行政裁判)がその審査に当たるのが,もっとも妥当だと考えられていた。
ワイマール憲法の法治国家は,かような考えに基づいて制度化された著しい事例である。
けれども,こういう法治国家には,いくつかの問題があった。非常に大きな問題は,それが国民の権利自由の保障のために,行政の活動をできるだけ精密な法律の規定によって拘束することを意図していたにもかかわらず,むしろ逆に,議会の制定した法律によりさえすれば,どのような権利自由の制約をもなしうるという傾向さえ助長し,実際上には--崩壊したワイマール共和国の歴史が示すように--独裁が,いわば合法的な手段によって築かれるという事態に対してはまったく無力とならざるをえなかったということであり,その結果,法律による無限の権力支配を許容してしまったのであった。また,1863年以降とくに設けられた特別な行政裁判所も,そこでは行政の特殊性が必要以上に強調されたため,国民の権利と自由の裁判的保障という機能を必ずしも十分に果たすことができなかった。
第2次大戦後の西ドイツにおいては,なによりもまず,個人の尊厳を人間社会における最高の価値と認め,これを尊重し,保護することをすべての国家権力の義務とみなし,法治国家の原則を確立した。すなわち,憲法が個人の基本的人権の保障を詳細かつ明確に規定するとともに,立法者といえどもその本質的内容を侵すことができない基本的人権としてこれを保障した。のみならず,いかなる国家行為も憲法に抵触することは許されず,立法者も憲法的秩序に拘束される。しかもその憲法的秩序は,たんに形式的に権利と自由を保障するにとどまらず,すべての国民に実質的な生存権を保障するという点に重きをおいた社会的法治国家の理念を標榜している。また公権力の行使によってその権利を侵害された場合には,何ぴとも,つねに裁判所に訴えてその救済を求める道が開かれている。そのうえ,包括的な憲法裁判(憲法裁判所)の制度(違憲立法審査制度)を認めたことは,憲法の優位を確保し,完全な実質的法治国家の体制を実現しようとしたものということができよう。
第2次大戦前ドイツと同じ事情にあった日本が,日本国憲法にそって,法治国家を建て直し,法治主義を徹底させようとしていることは,きわめて当然というべきである。
執筆者:竹内 重年
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
政治は法律に基づいて行われるべしという法治主義によって運営される国家をいう。この意味では、現代の国家はそのほとんどが法治国家であるといえる。絶対君主が法を無視して恣意(しい)的な政治を行った警察国家に対する語。法治国家とは、もともとは19世紀前半にドイツのモールによって唱えられたことばである。彼によれば、法治国家とは、行政が議会の制定した法律によって行われる国家を意味した。しかし、君権が強大で、議会の権限が弱かったドイツにおいては、法治主義の内容は、法律に基づく政治でさえあればいかなる政治であっても合法的である、とする考え方に堕したため、法治国家の思想は、かならずしも民主政治の発展を促進するものとはならなかった。このことは、人権保障や民主的政治制度の確立が不十分な国においては、いくら法治主義や法治国家の思想を唱えても、その国は民主主義国家たりえないということを証明しているものといえよう。
[田中 浩]
『田中浩著『国家と個人』(1990・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新