統葉護可汗(読み)とうようごかがん(その他表記)Tong-ye-hu Kehan; T`ung-yeh-hu K`e-han

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「統葉護可汗」の意味・わかりやすい解説

統葉護可汗
とうようごかがん
Tong-ye-hu Kehan; T`ung-yeh-hu K`e-han

[生]?
[没]628/630
西突厥カガン (在位 617/8~628/30) 。葉護はヤブグ yabghuで君長の称号である。兄射匱可汗 (しゃきかがん) を継いで即位。勇猛で知略に富み,東の鉄勒諸部を合せ,西ペルシア,クシャン朝をくだすなど西突厥の黄金時代を築いた。ユルドス渓谷にあった根拠地をスーイ・アーブ (砕葉城,現在のトクマク付近) に移すなどはなばなしい事績をもつ。東突厥を牽制して遠交近攻をとる唐の高祖ともよしみを通じたが,その後伯父に殺害された。これを契機に西突厥は国内分裂の時代に入った。玄奘はインドへ行く途中スーイ・アーブの王庭で彼と会い,厚遇を受けたという。

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世界大百科事典(旧版)内の統葉護可汗の言及

【突厥】より

…オアシス地帯と東西通商ルートを抑えた西面可汗の勢力にくらべると,モンゴリアの突厥は大可汗のほかに小可汗が分立し不安定であった。 583年には西面可汗が独立して西突厥といわれ,のち射匱(しやき)可汗,トン・ヤブグ・ハガン(統葉護可汗)のころ最盛期を迎えた。西突厥は単に〈十姓〉〈十箭〉〈オン・オクOn Oq〉とも呼ばれ,それがイリ(伊犂)・天山北麓方面と天山西方方面とに分かれていたという。…

※「統葉護可汗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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