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中国、春秋五覇(ごは)の1人で、晋(しん)の君主(在位前636~前628)。字(あざな)は重耳(ちょうじ)。父の献公(けんこう)が驪姫(りき)を寵愛(ちょうあい)したことから発した内乱で国外に亡命し、狄(てき)、斉(せい)、楚(そ)、秦(しん)などに19年間の流寓(りゅうぐう)生活を送ったが、秦の穆公(ぼくこう)の援助を受けて帰国し、即位した。周室の内乱で鄭(てい)に亡命していた周の襄(じょう)王を助けて帰国させ、また強大化した南方の楚を城濮(じょうぼく)(山東省)の戦いで破り、中原(ちゅうげん)を防衛した。践土(せんど)(河南省)に諸侯を集めて会盟を主催し、王より伯(覇)を賜った。
[田中柚美子]
前697~前628(在位前636~前628)
春秋時代の晋の君主。五覇の一人。名は重耳(ちょうじ)。公子のとき晋の内乱を避けて腹心の部下と諸国を歴遊,秦の援助のもとに帰国し即位する。周の内乱を鎮め,楚(そ)を破り,諸侯を会盟して覇者となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…中国,春秋時代の5人の覇者。5人のうち,斉の桓公と晋の文公を除いた他の3人については,たとえば楚の荘王,呉王の闔閭(こうりよ),越王の句践(こうせん)とする説,秦の穆公(ぼくこう),楚の荘王,呉王の闔閭とする説,秦の穆公,宋の襄公,楚の荘王とする説などがあって,必ずしも一定していない。ただ5人という数は,のちの戦国時代の五行説にもとづいてつくられたものであり,実際には5人に限定する必要はない。…
…桓公は第一の覇者であり,以後歴史は覇者を中心として動く。 桓公の没後,かわって登場するのが晋で,その文公(在位,前636‐前628)は周王室の内乱を鎮め,前633年には北上する楚を城濮(山東省濮県)で破り,践土(河南省滎陽県)に周王を迎えて,楚の捕虜などを献ずるとともに,諸侯に王室への忠誠を誓わせた。こののち華北では晋が覇者の地位を保っていたが,南の楚が勢力を増し,北上の力を強め,鄭などをその傘下に入れるに至った。…
…前679年曲沃(山西省聞喜県)の分家の武公の国を奪い,以後周囲の小国や北の狄(てき)を討って疆域を拡大した。前7世紀後半の文公は,楚の北上をおさえて,覇者となる。以後華北の強大国として,楚と対立したが,春秋後半には,大夫の勢力が強大となり,晋侯の実権は失われ,前453年に韓・魏・趙3家に国土を三分され,前376年3家に滅ぼされた。…
※「文公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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