コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

遠交近攻 えんこうきんこう

5件 の用語解説(遠交近攻の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

遠交近攻
えんこうきんこう

中国の戦国時代に范 睢 (はんしょ) の唱えた外交政策で,遠い国と親しく交際を結んでおいて,近い国々を攻め取ること。かつてのイギリス日英同盟などは強大な帝政ロシアに対抗するための遠交政策であり,イギリスの外交政策には一貫してみられるものであった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

えんこう‐きんこう〔ヱンカウ‐〕【遠交近攻】

遠い国と親交を結び、近い国を攻める外交政策。中国の戦国時代に、魏(ぎ)の范雎(はんしょ)が唱えたもの。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

えんこうきんこう【遠交近攻 yuǎn jiāo jìn gōng】

中国,戦国末の秦の外交政策。魏の人范雎(はんしよ)が考案し,秦の昭王(在位,前307‐前251)に進言したもの。秦にとって斉のような遠い国とは友好関係を結び,魏など近隣の国からまず攻撃を加え,近隣の国を下して漸次遠国を征服するという,いわば外交・軍事両面併用の策である。当時,秦の東進にともなって列国間では合従(がつしよう)や連衡などの外交策がめまぐるしく展開された(合従連衡)が,秦は遠交近攻策を採用して着実に地歩をかため,統一に向かって大きく前進した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

えんこうきんこう【遠交近攻】

〔史記 范雎伝
遠い国と親しくして,近くの国々を攻める政策。中国の戦国時代に魏の范雎はんしよの唱えた外交政策で,秦しんがこれを採用した。遠きに交わりて近きを攻む。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

遠交近攻
えんこうきんこう

中国、紀元前270年、戦国時代秦(しん)の昭襄(しょうじょう)王(在位前306~前251)のとき、魏(ぎ)の人范雎(はんしょ)が進言した外交政策。『戦国策』や『史記』によれば、范雎は、隣国を越えて遠方の国を攻める秦の対外政策には効果がなく、逆に遠方の国とよしみを結び、隣国を攻めるべきことを説いた。昭襄王はこれに従い斉(せい)、燕(えん)、楚(そ)への攻撃をやめ、韓(かん)、魏、趙(ちょう)の3国を攻撃した。のち秦は始皇帝の代に同様に韓、魏、趙の3国を討ったあと、楚、燕、斉を滅ぼし天下を統一することになる。[鶴間和幸]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

遠交近攻の関連キーワード外交政策合従連衡商君書白起陝西善隣外交范雎百里奚連衡《冷戦―アメリカ外交政策の研究》

今日のキーワード

朝鮮大学校

東京都小平市にある在日朝鮮人子弟のための学校。1956年設立,1968年各種学校として認可。朝鮮総連系の東京朝鮮学園が経営。大学教育に準ずる民族教育を目的とし,4年制の文学,歴史地理,政治経済,経営,...

続きを読む

コトバンク for iPhone

遠交近攻の関連情報