デジタル大辞泉
「遠交近攻」の意味・読み・例文・類語
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えんこう‐きんこうヱンカウ‥【遠交近攻】
- 〘 名詞 〙 中国の戦国時代に、秦の宰相范雎(はんしょ)が唱えたもので、遠方の国と親しくして、近い国を攻め取るという外交政策。
- [初出の実例]「遠交近攻(ヱンカウキンコウノ)策」(出典:文明本節用集(室町中))
- [その他の文献]〔史記‐范雎伝〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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遠交近攻 (えんこうきんこう)
yuǎn jiāo jìn gōng
中国,戦国末の秦の外交政策。魏の人范雎(はんしよ)が考案し,秦の昭王(在位,前307-前251)に進言したもの。秦にとって斉のような遠い国とは友好関係を結び,魏など近隣の国からまず攻撃を加え,近隣の国を下して漸次遠国を征服するという,いわば外交・軍事両面併用の策である。当時,秦の東進にともなって列国間では合従(がつしよう)や連衡などの外交策がめまぐるしく展開された(合従連衡)が,秦は遠交近攻策を採用して着実に地歩をかため,統一に向かって大きく前進した。
執筆者:永田 英正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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遠交近攻
えんこうきんこう
中国、紀元前270年、戦国時代秦(しん)の昭襄(しょうじょう)王(在位前306~前251)のとき、魏(ぎ)の人范雎(はんしょ)が進言した外交政策。『戦国策』や『史記』によれば、范雎は、隣国を越えて遠方の国を攻める秦の対外政策には効果がなく、逆に遠方の国とよしみを結び、隣国を攻めるべきことを説いた。昭襄王はこれに従い斉(せい)、燕(えん)、楚(そ)への攻撃をやめ、韓(かん)、魏、趙(ちょう)の3国を攻撃した。のち秦は始皇帝の代に同様に韓、魏、趙の3国を討ったあと、楚、燕、斉を滅ぼし天下を統一することになる。
[鶴間和幸]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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遠交近攻
遠方の国と親しくして、近い国を攻め取るという外交政策。
[使用例] その時代の旧家にて始終天下に望みを掛け遠交近攻の略により世間を騒がしたるものはただ武田氏ありしのみ[山路愛山*現代金権史|1908]
[解説] 中国の戦国時代に、秦の宰相范雎が唱えたもの。
出典 四字熟語を知る辞典四字熟語を知る辞典について 情報
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遠交近攻
えんこうきんこう
中国の戦国時代に范 睢 (はんしょ) の唱えた外交政策で,遠い国と親しく交際を結んでおいて,近い国々を攻め取ること。かつてのイギリスの日英同盟などは強大な帝政ロシアに対抗するための遠交政策であり,イギリスの外交政策には一貫してみられるものであった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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