古代、中央アジア、インドの王朝。中国文献では貴霜(きそう)と記されている。クシャンKushan民族はイラン系民族で、バクトリアで半農半牧の生活をしていた。1世紀前半、その族長(ヤブグ)のクジュラ・カドフィセス(丘就郤(きゅうしゅうげき))がバクトリアの支配権を握り、ついでヒンドゥー・クシ山脈を越えてアフガニスタンを征服した。その子ビーマ・カドフィセス(閻膏珍(えんこうちん))のときには、ガンダーラ地方から北インドのマトゥラまで勢力を拡大した。ややしばらくして、130年ごろカニシカ1世が現れて、中央アジアから北インドにかけての大国家を建設し、それからフビシカの治世まで約70年間、この王朝の最盛期を迎えた。この領土には、イラン、インド、ギリシアといった諸民族が居住しており、またそこは東西貿易の要衝にあたっていたため、この帝国はコスモポリタン(国際国家)的な性格をもち、商業国家として隆盛を極め、その統治下で東西文明が融合して、仏像などの特色ある文化を生んだ。仏教が中央アジアと中国に伝わったのはこの時期である。だが、カニシカ1世のときから、王朝の勢力の中心はしだいに西北インドに移り、インド文化に同化するようになった。3世紀になると、イランのササン朝ペルシアによって中央アジアの領土を奪われて、この王朝は衰え、やがてグプタ朝によって残存勢力も滅ぼされた。
[山崎利男]
『山崎利男著「クシャーン朝とグプタ帝国」(『岩波講座 世界歴史3』所収・1970・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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