継山流(読み)つぐやまりゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「継山流」の意味・わかりやすい解説

継山流
つぐやまりゅう

箏曲流儀名。「次山流」とも書く。継山検校 (?~1697) を始祖とする流儀で,おもに大阪に伝承されてきた。柳沢淇園 (柳里恭) の『ひとりね』 (1724成立) に「八橋流よしつくやまも手かずに面白事有」とあるので,すでに享保以前に一流として認められていたと思われる。流祖は隅 (住) 山門下と伝えられるので隅山流の分流と考えられる。以来吉田検校,2世吉田,浅川勾当,三崎,阪本と伝承,阪本勾当は文化期 (1804~18) の歌本『歌曲時習考 (かきょくさらえこう) 』など付載の箏組目録の継山流の部の訂正にあたっている。その後一方には八重橋検校,富沢勾当を経て大阪の富筋に伝承され,富崎春昇,富山清琴 (1913~ ) らにいたるが,現在では広義生田流を称している。他方,阪本から菊池検校への伝承は菊池派にいたり,大阪の菊筋がほとんど生田流であるなかで特異な別派を生じた。この菊池派は継山流の伝統を受継ぐほか,特に先端が開いた箏爪を使用し,明治にはいわゆる「明治新曲」の新作運動に加わる者が輩出した。またこの派独自の秘曲には『筑波の曲』『霞の曲』などがあるが,ほかに『公源氏』『甲の曲』『乙の曲』などが継山流秘曲として名古屋の生田流などに伝えられている。

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世界大百科事典(旧版)内の継山流の言及

【箏曲】より

…以後,盲人社会を中心に,その伝承と創造とが行われ,その門葉からさまざまな流派を生じた。京都では,八橋門下の北島検校から伝承を受けた生田検校以降の伝承を中心として,これを生田流と称したが,大坂では,生田流以外に,継山(つぐやま)検校以降の伝承による継山流もあって,現在にまでその伝承は続いている。ほかに,かつては新八橋流と称する派もあり,また,生田流でも,市浦検校以降の系統を新生田流と称することもあった。…

【継山検校】より

…箏曲家。継山流箏曲の始祖。次山とも。…

※「継山流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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