日本歴史地名大系 「総泉寺跡」の解説 総泉寺跡そうせんじあと 東京都:台東区旧浅草区地区橋場町在方分総泉寺跡[現在地名]台東区橋場二丁目浅草橋場(あさくさはしば)町西側にあった曹洞宗の古刹。妙亀山と号し、下総総寧(そうねい)寺(現千葉県市川市)末。本尊は釈迦如来。相模大雄山最乗(さいじよう)寺(現神奈川県南足柄市)二四世の叟宗俊の開山と伝える。康正二年(一四五六)下総市川城より石浜(いしはま)に移った千葉自胤が菩提寺として創建したものと考えられるが、寺伝では千葉守胤の開基とする。寺名は宗泉寺とも記される。最乗寺門末の有力禅院として栄え、領主の保護を受けた。大永六年(一五二六)五月には小田原北条氏の江戸進駐に対抗する真理谷武田氏が制札を与えている(「武田某禁制写」武州文書)。北条氏綱が江戸城を奪取し武蔵千葉氏が北条氏に属した後、天文二三年(一五五四)には遠山綱景(同年八月二日「遠山綱景制札写」同文書)、永禄三年(一五六〇)には太田資正など(同年一二月一四日「太田資正制札写」同文書)、江戸城代が相次いで制札・禁制を交付し保護している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報