日本歴史地名大系 「総穏寺」の解説 総穏寺そうおんじ 山形県:鶴岡市鶴ヶ岡城下鍛冶町総穏寺[現在地名]鶴岡市陽光町国道三四五号(旧小国街道)西側、光学(こうがく)寺西隣にある。興林山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦牟尼仏。寺伝によれば永徳二年(一三八二)三河国で創建され、初め洞泉山寿天院と称し能登総持寺直末であったという。酒井氏転封に従って元和八年(一六二二)鶴ヶ岡に移り、鍛冶(かじ)町に寺地を与えられた。このとき総持寺直末から下総総寧(そうねい)寺(現千葉県市川市)末にかわり、鉄山林設を招いて開山とし山号寺号を改めたという。初め北の大工(だいく)町に向かって入口があったが、のち光学寺の地所を借り、入口を鍛冶町側に改めた(大泉掌故)。寛永二年(一六二五)には庄内一宗の僧録となった(「仰渡覚」鶏肋編)。同一三年には最上・村山両郡の一部を合せた四〇八ヵ寺の僧録に就任、常恒会地となったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by