朝日日本歴史人物事典 「本間光丘」の解説
本間光丘
生年:享保17.12.25(1733.2.9)
江戸中・後期の大地主,豪商。のちの巨大地主本間家の基礎を作った第3代当主。幼名久治,友治郎,のち久四郎。通称四郎三郎。父庄五郎光寿の3男として酒田に生まれる。寛延3(1750)年,19歳から4年間,播磨国奈良屋権兵衛につき商売の修業をし,宝暦4(1754)年家督を相続。庄内農村への金貸業,上方との商取引のほか,大名貸は庄内藩,米沢藩,新庄藩などの諸藩におよび,光丘の代に田地を集積した。庄内藩家中の家計整理のため,小姓格御勝手御用掛として藩政に参画,また酒田西浜に砂防のため私財をもって植林事業を行い,この事業はその後代々受け継がれた。<参考文献>『酒田市史 改訂版』上
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報